受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.59 生命にも「正しい」使い方がある1
2022-12-09
人間は欲望をなかなかのことでは捨てきれない生き物で、私の知る例でも、定年退職後に自分の社会的な存在感が薄れていくことに、一種の恐怖感に促されてか、奇妙な形の抵抗を示す人がいます。
たとえば、日本でいえば、会社の要職にあった人の退職後の年賀状の数が、がたんと減ってしまうように、大学教授をリタイア後、自分を囲み、質問してくる学生がいなくなり、自分の学識を頼ったり、意見を聞きにきたりする人の数も激減してしまう。
すると、そのことに〝危機感〟をもった人が、引退パーティを盛大に行うことに熱を上げたり、学校への寄付の規模を同僚と競ったりします。学問的にも人間的にも尊敬できると思っていた人物までが、そういうことをする姿を見てしまったために、私はひどくむなしい気持ちを抱いた覚えがあります。
価値観の置きどころは人それぞれですから、批判することではないのでしょうが、もし、こういう人が病気になったら、それもがんのような重い病にかかったら、おそらくいちどきに生きる希望を失ってしまうように思えます。
何とか自分の名を残したい。そんな現世的な希望だけに全体重を乗せている人は、入院などをしたとき、病院のように現世のルールがほとんど通用しない場所では、名声や地位などは、生きる希望を与えるに足るものではないということに、気づかされることになります。
私は患者さんには、仕事を辞めても、銅像は建たなくても、名前は残らなくても、重い病気であっても、あなたの存在、あなたの生には意味がある……。このことを知ってもらいたいといつも思っています。
「何がなんでも生きたい、一秒でも長く生きたい」という単なるがむしゃらな延命は、「一円でも多く儲けたい」という欲望とよく似ていると思います。
一円でも多くもっていることよりも、もっているお金の使い道が大事なのと同じように、「この世にいて、神様から預かっている一秒一秒が貴重で大切なものなんだ」ということを患者さんに心から感じてもらうことが医師のなすべき真の役割です。患者さんが生きる一秒が、そのまま喜びの一秒であるように努めることが医師の本来の使命なのです。
それは実際にはたいへん難しいことですが、前にも述べたように、患者さんをまず人間として、大切にあつかうことから始めなくてはいけません。
あなたは必要な存在で、私自身も医師として、あなたを大切に思っている。こうした思いを伝えることが、患者さんに自分が生きる価値を感じさせ、生きる希望を抱かせる第一歩になるのです。
自分のことをだれかが大切に思っている、このことくらい人間を慰め、励ますものはありません。
つまり医療の前に、あるいは医療と同時に、心も尽くすこと。それによって名声や富などの「もの」に頼った希望でなく、心に根ざした希望ある延命の提供が可能になるのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。