受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.55 まかせることは、強さになる3
2022-11-11
私は、これまで一度も事業を起こしたことなどありませんでした。全部が私の考えたことだというほうが無理があります。
とにかく目の前の患者さんの痛みを何とか緩和したいと、無我夢中で進めてきたプロジェクトが、世界的に著名な大企業や資本家からも協力を得て、注目されるプロジェクトとして動きはじめています。
この一連の出来事は、私の医師人生におけるもっとも大きな出来事でしたが、再三述べてきたとおり、そのうち私が自力でなしたことは小さく、周囲の人の協力やアドバイス、それらがありえない幸運のもとにやってきたと感じています。
それはひとえに私が無力だったからにほかなりません。すなわち「無力の力」がもたらしてくれた成果だと思えるのです。
まだ仕事は途中ですが、ここまでを振り返ってみても、すべては自分でなしたことでなく、大きな力によって「させてもらった」ことであるという実感が強いのです。まかせることによって、天から自分に与えられた固有の使命や役割をまっとうすべく懸命に努め、それが無力を力に変えて、いい結果につながったのだと思えるのです。
人に充実した幸福感をもたらすものは何でしょう。富や名声ではありません。おのれの欲望を満たすことでもありません。
それは、自分自身の役割を見いだし、その役割を果たすことで他人や社会の役に立つことではないでしょうか。人は与えられる以上に、与えることにも喜びを見いだせる贈与の動物です。
だから自分の役割を果たし、人の役に立ったという手ごたえほど人間に元気や力を与え、生きがいや充実感をもたらし、喜びや幸福を感じさせ、また、命をいきいきと輝かせるものはありません。そして、その根底には「まかせるという生き方」があると思うのです。
東日本の大震災以後、日本はまだ大きな無力感のさなかにあるような気がします。しかし、その当の被災者の中に、「せっかく生かされたんだから、しっかり生きていこうと思う」という声を聞きます。
そこに私は、「ゼロから始める」「まかせて生きる」といった無力を出発点とする再生への強い決意を感じるのです。人はひとりでは、自力だけでは生きられない、もろくはかない生き物です。しかし同時に、何か大きなものによって生かされているたしかな存在でもあります。
その弱さとともに、大きなものに守られている強さもしっかりと自覚するとき、無力という脆弱(ぜいじゃく)さは、生きるための強靭(きょうじん)な武器へと反転していくはずです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

