受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.48 天才とは、自然の声を聞ける人のこと
2022-09-23
天才的な科学者といわれる人たちはたくさんいますが、私がこれまでに出会った中で「この人こそ天才だ」と思わせる人に、ゼレーズ先生という人がいます。
ゼレーズ先生はまさにひらめきの天才でした。
赤血球の酸化を防ぐ方法について模索していた私に、NADという化学物質に注目するようアドバイスをくれたのが彼です。
鎌形赤血球症の新薬開発は、ゼレーズ先生のひらめきによるところが非常に大きく、本当はゼレーズ先生こそがこの研究の立役者として注目されるべきと私はいまでも思っていますが、それが天才の性(さが)なのか―新薬が治験に入る直前、つまり世の中から注目される前に、ゼレーズ先生は研究から降りてしまいました。その理由は「もう疲れてしまったから」というものです。
やるべきことを粛々とやり、自分の手柄を主張することもなく、颯爽(さっそう)と去っていったゼレーズ先生は、いまでも私の憧(あこが)れです。
ゼレーズ先生の発想にはいつも無理なところがなく、自然の理にかなっていました。先生がNADに注目したのも、鎌形赤血球がみずからNADをつくろうとしている様子を、実験データから即座に読み取ったからでした。
彼は鎌形赤血球が普通よりある程度高い数値のNADをもっていることを酸化現象の観察の中で発見しました。私だったらそれを、酸化に弱い細胞にとっては好ましい変化であると結論を出して終わりにしてしまいそうなのですが、ゼレーズ先生は違いました。
彼は、鎌形赤血球がNADを自分でできるかぎりつくりながらも、もっとたくさんのNADが必要だと叫んでいるように解釈したのです。たとえるなら、火事現場で多くの人々がバケツで水を運んでいるような状況です。バケツの水ではとても間に合わないことに気づかず、ただ人々に「頑張れ、頑張れ」と言っていたのが私を含め多くの研究者の見解でしたが、ゼレーズ先生は消防車を呼んで水を撒(ま)こうと提案したのです。
このゼレーズ先生への見解にしたがって、私たちの課題は、どのようにしてさらにNADを増やすことができるのかということになったというわけです。
私はゼレーズ先生と研究を共にするうちに、天才というのは、自然の声を聞き、見えないものと対話ができる人なのではないだろうかと思うようになりました。
科学では証明できないことなのですが、人間には本来そういう目に見えないものを見る力が備わっていて、その力を発揮できる人が天才といわれる人なのだろうと私は思うのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

