受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.43 「無力」の力 3
2022-08-19
前回のつづきです。私をかわいがってくれた〝おばあちゃん患者さん〟が亡くなってしまったことについてお話ししておりました。
私は鉛を飲み込んだような重い気持ちでこの患者さんの家族に連絡を入れました。電話に出た娘さんは当然ながら、「先生がすぐに心電図を見てくれれば、こんなことにはならなかったはずです。とても残念です」と、私の処置のいたらなさを責めました。
私はほとんど何も反論できないまま、内心、訴訟を起こされることも覚悟しつつ謝罪の言葉を伝えて電話を切りました。
その処置法の過失に加えて、二〇数年がたったいまも心に残る悔恨は、私の不用意な発言が、彼女の心臓発作に影響を及ぼしたのではないかという点です。
あのとき、やっと研修期間が終わるという解放感から、私はいかにも嬉(うれ)しそうなウキウキした口調で、「今日が最後」であることを告げてしまいました。
孫みたいにかわいがり、安心して診察をまかせてもいた医者が、突然姿を消してしまうことは、お年寄りにとってはショックな出来事にちがいありません。でも、そのときの私は、そんな彼女の心情を十分に思いやることができませんでした。
そればかりか、やけに嬉しそうな顔で「突然の別れ」を切り出したのです。その浅慮で軽率な態度が、彼女の心に衝撃を与え、彼女の体にも影響を与えたのではないか。私が診察するまえ、看護師が脈をとったときには異常は見られなかったのだから。少なくとも、もっと慎重な言葉と態度で最後である旨を告げ、「いつでも連絡してください」と安心できる言葉をひと言でも添えておくべきだった……。
いまも心がうずく失敗例で、思い出すたびに医学の無力というよりも、私個人の未熟さやいたらなさを痛感させられる出来事です。
けれども、こういう無力な過去を〝痛みの記憶〟だけにとどまらせていたのでは、つまり、失敗を失敗として放置しているだけでは、亡くなったおばあちゃんに対して申しわけありませんし、私が医者として成長することもかないません。
過失やミスから学んで、成長のための肥料として役立てるとき―この場合なら、次の診療法や患者さんとの接し方に役立てるとき―無力を出発点としながら、やがてその無力から離陸していく生き方が、私たちにはじめて可能になるはずです。
私はそういう生き方をすることが、これまで出会った患者さんから学んだことを生かす、唯一の方法だと思っています。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

