キム・ホンソンの三味一体
vol.176 蓄えられないもの
2022-08-05
聖書の中でイエスが人々に貪欲になることに注意し気をつけなさいと教えるところがあります。その時に使われた譬え話はこうです。すでに金持ちだったある人が豊作によってさらに多くの財産を手に入れることになりました。彼はこの大量の収穫物をどうしようかと考えました末に、もっと大きな倉を建てることにしました。そして、その大きな倉に穀物や財産をすべてしまい込んで、自分に向かってこう言おうとしたのです。「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり、飲んだりして楽しめ。」しかし神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」と言います。そして、この譬えは「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」とのことばで結ばれます。
この譬(たと)えでイエスが言わんとするのは、お金でもって確かな未来を買うことはできない。だから、死んでちりにかえらないように神の前に豊かな人となって神から永遠の命を受けなさい、ということです。神の前に豊かな人とは、いくら収穫物を蓄えても、それが人生の保証にはならないことを知っている人です。たとえ自分の手で土を耕し収穫したとしても、真に作物を育み、成長させられた方がおられる、そして、財産を持つことで人々に称賛されている自分自身の命もまた、その方によって養われていることを知っている人です。
私たちはコロナ禍の中で確かだと思っていたのがそうでもなかったという経験をしました。自分が一生懸命に働いて自分自身と家族を養っていると信じていました。そして、そのようにして得たお金は、銀行口座の中、そして財布の中に確かに持っていたのです。しかし、いくら現金があっても長い列に並んだとしてもトイレットペーパーやその他の必需品を思うように買えなかったことがありました。生産量が減ったわけでもありませんでした。ただ一人一人が安心を蓄えようとして買い溜めをしていたからです。たとえ明日の食糧がなくとも、種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない空の鳥が養われているように、見えないところで私たちを養い支えている存在について知ることは大きな慰めです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。