受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.37 難病の少女が教えてくれたこと1
2022-07-08
私が「病苦にも意味がある」と考えるようになったのは、かなり医師としての経験をつんだ後のことで、一本の映画がきっかけでした。さまざまな病気や障害を背負った子どもが通う、ある特別支援学校の生徒たちとひとりの先生の交流を描いた『1/4の奇跡~本当のことだから~』という映画です。
その中に鎌形赤血球症の話が出てきます。多発性硬化症という難病を患った少女と、先生である山元加津子さんはあるとき、鎌形赤血球症の存在を知り、その遺伝子がマラリア予防に大いに役立っていることを知ります。
そして、そこに彼女たちは鎌形が暗示している病気の意味を見いだすのです。すなわち鎌形という病気があったおかげで、多くの人がマラリアにかからず生きていられる。病気というハンデやマイナスの環境を引き受けてくれた人によって、他の人たちの健康が支えられている……。
そのように病気のもつ固有の意味と役割を鎌形に感じて、ふたりは少女がむしばまれている多発性硬化症の苦しみを引き受け、その短くも深い生を懸命に、力強く生きていくための糧(かて)にするという感動的な物語です。
その話を最初に聞いたとき、私は病苦にも意味を見いだす考え方に、関心と感銘を覚えたものの、一方で鎌形の患者さんの身も世もない苦しみを目の当たりにしてきた医師の立場からすると、「その説明には少し無理があるのではないか」と感じたのも事実でした。
無理というのは、鎌形は深刻な病気で、その苦しみや痛みは尋常なものではない。であれば当然、この世にあるよりはないほうがよく、医師も治療や撲滅に力を注がなくてはならない対象です。
そんな病気に「意味」や「役割」を見いだすことは、マラリアに強いのだから鎌形という病気はあったほうがいいと、その存在を正当化してしまうことにもなりかねない。取り除くべき痛みや苦しみまで肯定してしまうことになりかねない。そんなふうに思えたのです。
しかし、映画を見て、山元さんの著書なども読むうちに、病苦はまったく無意味な存在であり、憎むべき敵だと、一方的に決めつけるのも浅薄な考えであると思い直すようになりました。
山元さんたちが感じたように、病気には「負」の面ばかりでなく、プラスの面も隠れているのではないか。病気の苦しみや痛みそれ自体に意味はないにしても、病気にかかった人間がそれを受け入れることによって、そこに「正」の意味を見いだすこと、生み出すことは可能なのではないか。そんなふうに思えるようになったのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

