キム・ホンソンの三味一体
vol.174 死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい
2022-07-01
聖書の中には、イエスの教えに惹かれて弟子入りしたいとイエスに近づいて来る人々の話が書かれています。中にはイエスの方から「私に従いなさい」と招く場合もあるのですが、素直に従っていった人もいれば、そうでない人もいます。ある人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言いました。その人に対してイエスはなんと「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」と言ったのです。亡くなった父親の葬りをするのは当然のことです。ユダヤ人の律法、その中心である十戒の中に「あなたの父母を敬え」とありますから、尚更のことです。ではなぜイエスはこのようなことを言ったのでしょうか。
実は、イエスはあくまで死者の魂を受け取る神の立場からものを見ているのです。私たちが考えている葬儀とはなんでしょうか。誰のためのものなのでしょうか。葬儀において誠心誠意を尽くすことで故人のためになるのでしょうか。慰霊碑に参拝することでその碑に刻まれた人々の霊は慰めを受けるでしょうか。そんなことはないと思います。葬儀や慰霊碑など、死者を追悼し記念する儀式や建造物は死者のためでなく、あくまで残された遺族と故人を偲ぶ人々のためのものです。生きている者で、死者の魂のゆくえをコントロールできる者は、誰一人としていないのです。従ってイエスは、「死者の魂は神が受け取られるのだから、生きている者は、生きている間に、生きている人々の救いのために最善をつくすべきである」と言っているのです。
死者の魂を受け取る神の立場で語られるイエスの言葉は、冷たそうに見えて実は慰めに満ちています。ともすれば私たちは自分たちを一人前のまっとうな人間だと考えがちなのですが、実は非常に脆いところがあります。パスポートの期限が過ぎていることに気づかなかったせいで親の最期に間に合わなかったり、コロナのパンデミックで大事な人の臨終に立ち会うことができなかったりすることも現実にあり得るのです。そのような時、私たちは自分を責め続けなくて良いのです。私たちの落ち度や災難にかかわらず、故人の魂をしっかりと受け取ってくれる存在があることを知ることは大きな慰めです。
礼拝:日曜日午前10時(オレンジ・カウンティ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。