マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.25 未知
2022-07-01
Netflixのドラマシリーズ『ストレンジャー・シングズ 未知の世界』は80年代のインディアナ州の田舎町を舞台にSFオタク少年四人組が活躍するSFホラーで、当時のSF、ゲーム、アニメなどへのオマージュがふんだんに盛り込まれた話題作です。ドラマの少年たちとほぼ同い年の私には懐かしい要素満載でノスタルジアを感じずにはいられません。
でも意外なことに若い世代にもこのドラマは大人気だそうです。もちろんドラマが引用するスピルバーグ的、スティーブン・キング的な要素が魅力的なことも大きな要因ですが、人気の秘密はそれだけではありません。
シーズン3の最後に警察署長ホッパーが娘のように愛情を注いだ少女、イレブンに宛てた手紙が出てきます。お前はいつまでも子供でいることはなく、どんどん大人になってしまう、私が一番怖いのはそれだ、と。ノスタルジアの本質はここにあります。無邪気にゲームやSF映画に明け暮れ、モンスターと戯れた時代はいつか終わる。決して止めることができない変化と、それを止めたくなる気持ち、その二つの衝突が生み出す甘く切ない思い。
世代を超えて共感を生むのは、その「変化」と「変化を止めたい思い」との衝突が普遍的だからではないでしょうか。この「衝突」は、このドラマが単なる思春期のノスタルジアを描くだけでなく、モンスターと格闘する少年たちの物語であることに関わっています。ある時を境に自分の体がみるみる変化し、「男性的」「女性的」な形に変化する。それまで気にしたこともない異性の目を意識し始める。夢中になった遊びに全く興味を感じない自分に気づく。「異形のもの」であるモンスターとは、少年たちが経験する「自分が得体の知れないモノ」に変容する恐怖を投影した存在かもしれません。
自分たちこそモンスター、つまり「未知」を宿す存在であるということ。それに気づかされ、戸惑いや嫌悪や葛藤に折り合いをつけて「成長」する。モンスターは消滅せず、自分の中にあり続けると知りながら。「未知」を抱え込みながら生きる存在としての人間。「未知」とは過去を懐かしむノスタルジアではなく、目の前にあって常に向き合うべき私たちの現実そのものかもしれません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

