受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.35 痛みは人間である証し1
2022-06-23
この生存に不利なはずの条件が別の病気には有利にはたらくという鎌形とマラリアの不思議な関係。病気はけっして「負(マイナス)」だけのものではないと思うのです。
ひとつの障害が他の疾患を癒(いや)す役割を果たすのなら、病気は必ずしも否定的な文脈だけで語られるものではなく、そこにポジティブな意味も見いだせるのではないでしょうか。
病気という苦しみそれ自体の中に、なにがしかの意味、もしくは価値も隠れているはずで、その病気の二重性がまた、私たちをいつも生きるほうへと促している、生命の多様さや奥深さを示唆しているとも思えるのです。
「バカを言うな、病気に意味などあるわけない。まして価値など見いだせるはずもない。いま病気に侵されている、患者さんの苦痛がどれほどのものであるのか理解しているのか。」そういう声が聞こえてきそうです。
もちろん、それはそのとおりなのです。私はがん医でもありますから、重病に伏し、生死の淵(ふち)に臨んでいる患者さんの苦痛や苦悩が、ひととおりのものでないことはよく理解できるつもりです。
「痛くてたまらない。死んだほうがましだ。先生、私を殺してくれ」
医師として患者さんからこういう苦悶(くもん)や懇願の叫びを聞いた経験も、幾度となくあります。死の恐怖のほとんどは痛みへの恐れです。その痛みが尊厳や、やさしさなど、もろもろの「人間らしさ」を奪ってしまう悲劇にも立ち会ってきました。
痛みの除去に力を尽くすことが医師の重要な役目であることも、十二分に承知しています。
鎌形赤血球症の症状は血管の詰まりが引き起こすものですから、ほとんど全身に及びます。貧血や潰瘍(かいよう)などに始まって、腎臓(じんぞう)や肝臓や心臓などの臓器不全、骨の壊死や脳梗塞(こうそく)。免疫システムの障害も引き起こして、さまざまな感染症にかかって肺炎で亡くなるというケースも少なくありません。
とりわけ鎌形を怖い病気として特徴づける要素は痛みの強さです。関節や骨を襲う痛みは〝クライシス(危機)〟とも呼ばれて、先ほども述べたように、骨折が同時多発的に起きるような想像を絶する痛みです。
アメリカでも黒人の方々に鎌形の患者さんが多いのですが、彼らの中で麻薬を入手しようとする人が少なくないのは、快楽を得るためではなく、医療機関で痛み止め治療を十分に受けられないため、非合法な方法でも手に入れて、何とか病気の痛みをやわらげようという、せっぱ詰まった理由もあるのです。
そのような現実を前にして、「病気にも意味がある」という言葉がはたして有効なのか。そもそも、いま痛みに悶(もだ)え苦しんでいる患者さんに向かって、「その苦しみにも価値がありますよ」などと軽々しく口に出せるのか。私にその自信はありません。けれども、その事実を十分に認めたうえで、なお、病苦が人生の土壌に栄養を与え、ときに、希望の種さえ蒔(ま)いてくれる肥料となる場合も、ありうるように思えるのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

