キム・ホンソンの三味一体
vol.173 三位一体
2022-06-17
時々読者の方から“コラムのタイトルはどうして三味一体ですか?三位一体の方が正しくありませんか?”という質問を受けたりします。おっしゃる通り三位一体の方が正しいです。三位一体というのはキリスト教の中心的な教理で、一人の神が3つの人格を一度に兼ね備えているという意味の言葉です。しかし、どうしてコラムのタイトルが“三味一体”になったかを説明するためには2011年の9月にまで遡らなければなりません。当時、私のコラムが日刊サンに連載されることが決まって日刊サンのスタッフの皆さんがタイトルを一生懸命に考えてくださっていました。そして、最終的に日刊サンのT社長のひらめきで“キム ホンソンの三味一体”というタイトルができたのです。T社長曰く「キムさんは韓国、日本、アメリカという3つの味が一つになっている。味という文字は、キムさんは味がある人だから。」ということでした。
ついでにオリジナルの三位一体の意味ですが、聖書によると、元々人間は太陽ともいえる造り主である神の保護のもと、楽園の中に住んでいました。しかし、人間は神との関係を断って自分達の欲求と理想を実現できる社会を築き上げようと楽園を出たのです。これを聖書では“堕落”と言います。それによって神と人間との間には、太陽から地球までと言っても良いほどの距離ができてしまいました。それ以来、人間は、自己責任を負って、永遠に続く競争の中を生きることとなりました。さらには楽園にいた時とはちがって時が来たら必ず死ぬということになったのです。そこへイエスキリストが太陽から放たれた光のように人となって人間の世界に来ました。神でもあるキリストは人間のすべての罪を一身に負って、自分の命を身代金のように支払い死んだ後三日目に復活しました。そして、これを信じる者は救われて堕落以前の神との関係を取り戻せるようになったのです。
しかし、神との関係は回復したものの、人間の欲望に基づいて築き上げられた世界の中で生きていくことには変わりありません。自分達の力だけでは神との関係を保持しながら生きることはほぼ不可能です。そこで、太陽の光りに照らされることで生じる熱のように、聖霊が人々の心に働きかけ、キリストの教えに従って自己中心から離れ、隣人を自分のように愛することができるようにしてくれるエネルギーとして来てくれているのです。太陽、光、熱が三つであり一つであるように、神と御子イエスと聖霊は、三つにして一つである三位一体の神なのです。
礼拝:日曜日午前10時(オレンジ・カウンティ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。