受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
vol.22 希望が限られた命の時間を深くする1
2022-03-25
医師の仕事は、「希望を与えること」であると前に述べました。そのために、私がふだんから心がけていることは、患者さんに「この人は自分のことを本当に思ってくれている」と感じてもらうということです。
医療対象である患者として接しているのではなく、ひとりの人間として大切にされている。そのことが伝わったとき、患者さんに医師を信頼する心が生まれてくるからです。
その信頼感が患者さんの痛みをやわらげ、病の苦しみを受け入れ、立ち向かう力を養うきっかけにもなるかもしれないし、それができたときにはじめて医師が患者さんと共にあることが可能になる。そんな気がします。
逆に、自分は医師から大切にあつかわれていない、人間として尊重されていない。そんな不信感や心の枯渇状態ほど患者さんを苦しめるものはないと思います。いくら高度な医療を受けていても、医療モルモットのようなあつかいを受けるのでは、それは病気の苦痛よりもずっと苦しいことです。
そうでなくても、病気になったことで「自分はもう健康な人たちとは違う世界へきてしまった、一般社会からこぼれ落ちてしまった」と感じさせるような脱落感や劣等感を覚える患者さんがとても多いのです。
そんなふうに患者さんを、「自分は病人だから存在価値がない、生きていてもしかたがない」という気持ちに追い込んでしまうのは医師の怠慢であり、医療の敗北ともいえるでしょう。
ですから、「自分がこの世に存在していることはとても必要なことであり、大切なことである」。そう患者さんに思ってもらえるような姿勢を見せること、メッセージを発することは治療以前の医療の大きな務めでもあるのです。
そのためにも、医師は強くあらねばならないと私は思います。自分自身がつねに希望を捨てないこと。そして、どんなに辛い状況であっても患者さんの側に寄り添う強さと、命に対するぶれない信念をもつこと。
私がこういうことを強く考えるようになったのには、若いころのひとつの経験が大きく影響しています。
次回へ続く。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

