キム・ホンソンの三味一体
vol.166 生き抜いて欲しいと願う
2022-03-04
「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。... あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。」 (ルカ6:27-30)
これは前回に紹介したイエスの説教の続きに当たるところです。またも無理難題な話にしか聞こえません。しかし、この説教が何世代にも渡って口伝され最終的に書き留められたということは、この説教を直に聞いた人々が少なからずの衝撃と感動を受けたからだと思います。当時「頬を打つ」行為は、身分の高い者が低い者に侮辱を込めて行う仕打ちでした。頬を打たれそうになった時に抵抗をすれば、更に酷い仕打ちを受ける、下手をすれば死ぬ可能性もあるのです。それは上着を奪われないように抵抗する時も同じでしょう。また、人々の周囲には「求める者」、つまり貧しさから援助を必要としている仲間がいました。しかし、借りても彼らはきっと返すことができない。それがイエスや弟子たち、そこに集まった人々が置かれていた状況だったのです。その厳しい、苦しい、辛い現実を生きる者たちへと「頬を打つ者に頬を向けよ。上着を奪おうとする者に下着をも差し出せ。自分も貧しいが求める者には与えろ、とたとえ無様だとしても、這いつくばってでも生き抜きなさい。」と言っているのです。
イエスは人々に対して死んだ後に天国に行けるからもう少しがんばれって言っているのではありません。むしろ、今の辛い現実だからこそ神は共にいてくださる。その貧しい生活の中にあっても、返してくれることを期待しないで与えてくれる友によって、豊かさを経験することができる。そして、あなた自身も誰かに対してそのような友になってあげることで、笑顔になることができるのだ。あなたがたの間にある神の国を生きることができるのだ、と語っているのです。
敵を愛せと言ったイエスは、敵によって罵倒され唾を吐きかけられつつ十字架にかかりました。そしてその十字架の上で「神よ彼らをお赦しください。彼らは自分達が何をしているのか分からないのです」と祈ったのです。敵を愛せとイエスは言ったのは、私たちの魂がむしばまれるのは、人から受けた憎しみではなくして、自分が人に対して持ってしまう憎しみ、そして復讐心だからではないでしょうか。
ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見ながら、ウクライナの人々がどんなに辛い状況であってもどうにか生き抜いてほしいと思いました。生き抜いて神の正義と恵みと慰めに満たされる日を迎えられるように祈っています。
礼拝:日曜日午前10時(オレンジ・カウンティ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。