マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.19 世界
2022-01-07
手塚治虫が今から40年前に描いた『ふたりでリンゲル・ロックを』(1982)という短編漫画があります。舞台は「近未来」の1990年代。人々は大人から子供まで、手のひらサイズのガジェット「マイコン予測計」であらゆることを予測しながら生活しています。子供が学校の授業中に先生にあてられる確率、最適な料理の献立、職業、結婚相手、生き方に至るまで、予測計の「答え」に従って生きる社会。
主人公の小学生「世田ノ介(よたのすけ)」には「鶴寺いぶ」というガールフレンドがいます。ある日、「1999年6月にいぶは世界を手に入れる」と大型コンピュータが予測した、と学校で話題になり、子供たちは彼女をノストラダムスの大予言に登場する悪魔のように扱い出します。追い詰められて自殺未遂までしてしまういぶ。世田ノ介は彼女をかばい続けますが、やがて疎遠になってしまいます。時は流れて1999年6月。世田ノ介は22歳になり、予言の意味がわかります。コンピュータが予測した「いぶは世界を手に入れる」の「世界」とは「世田ノ介」を縮めた表記で、それを人間が読み間違えていただけ。つまり、いぶと世田ノ介が結婚するという意味だったのです。日本初の有人ロケットのパイロットに選ばれていたいぶは世田ノ介を同乗者に指名し、2人は宇宙空間で結ばれて物語は終わります。
この作品、手のひらサイズのスマホで得られる情報、アプリやサイトのおすすめ情報に合わせてライフスタイルを形作る現代人の生活を先取りしている点にも驚かされますが、特筆すべきはゼロ年代初頭から日本のアニメ等に登場し、新海誠の『君の名は。』にまで続く「セカイ系」をも先取りし、批判までしていることです。セカイ系とは主人公の男性とヒロインとの個人的で小さな関係がそのまま「世界の終わり」といった抽象的で大きな問題へと直結し、国家や社会、経済などの中間項が抜け落ちる世界観。おすすめスイーツから中東情勢まで、全てがフラットに並べられたデジタル空間に依存する社会では「世界」と「世田ノ介」が一緒くたになり、中間にある社会や経済の問題が見落とされる可能性が常に存在します。果たして、手塚治虫の目に2022年の世界はどう映るのでしょうか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。