受喜与幸 ~受ける喜び、与える幸せ~
まえがき
2021-10-19
人生、不安や心配にとらわれず、強く生きていくことができたら、どんなにすばらしいでしょうか。
私はいま、アメリカで、がんと血液の病気を専門とする医師をしていますが、数十年間、これまで出会った患者さんたちに十分な医療を提供することができたのか、医師として不適切な言動はなかったか。そういう心配は、後を絶ちません。
一九九二年から、私は難病といわれていた「鎌形(かまがた)赤血球症」の治療薬の開発にたずさわり、二五年かけ、二〇一七年にやっと米国FDAの承認をいただくことができました。しかし、一時は、「この薬を飲んだ患者さんが全快したあと、犯罪をしたらどうしよう」などと、つまらない心配で頭を悩ませたこともあったのです。
命は、簡単には善悪の答えが出せないむずかしい問題です。
その命を預かる医師として、私は、揺らぐことのない、強い意志をもたねばならないとずっと思ってきました。
医学を進歩させてきたのも、病気にうち勝つ強さを望む、人間の根本的な感情だと思います。
ありとあらゆる技術の進歩は、たしかに、私たちに強さを与えてくれます。しかし、私たちは、強さを手に入れたいと思う一方で、その強さを見間違え、本当の強さと、偽の強さに惑わされてしまうことがあります。そして、それが、自分も周りの人々も不幸せにしてしまった例は古今東西多く見受けられます。
なぜ、私たちは強さに対して、こんなにだまされやすいのでしょうか。きっとそれは、私たち自身も偽物の強さを利用してでも、まわりの人を服従させたいという間違った欲望を、心のどこかに抱いているからだと思います。
人を幸せに導く、本当の強さを手に入れるためには、私たちはどのようなことを心がければいいのでしょうか。
本当の強さが、「与える」という行為と深い関係があるといったら、あなたはどのようにお感じになるでしょうか。強さというものは、おそらくひと言で言い表せるものではありませんが、あえていうなら、愛するものに向かう思いと力が、究極の強さだと私は思っています。たとえば、動物の親が、自分の生命を犠牲にしてでも子孫を守ろうとする姿には、まさにつけ入る隙のない、すごみと威厳があります。このように、すべての生命には、「与える」とわき出る、特別な強さがあらかじめプログラムされているのです。また、あなたがだれかに贈り物をしたときの高揚感を思い浮かべてみてください。どうして人に贈り物をすると幸せな気持ちになるのでしょうか。
生きる強さということは、愛を与えたいという対象がどんどん増えていくことなのかもしれません。それが自分に敵対する人であっても。
私自身は、まだまだその強さを磨いている途中ですが、この強さを発見した経緯を、あなたのお役に立つのではと思い、これから始まる連載でお話させていただきます。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

