キム・ホンソンの三味一体
vol159 小さきキリスト
2021-10-15
聖書にあるお金持ちがイエスのところに来て「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(マルコ10:17)と尋ねるところがあります。イエスは彼に「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」と答えました。すると大金持ちだった彼は悲しみながら立ち去ったとあります。
クリスチャンでない人がこの個所を読むとクリスチャンになると全財産を寄付しないといけないのかと疑問になりそうなところですが、そんなことはありません。イエスも彼にそんなことが出来るとは思わなかったと思います。ただ彼に2つのことを分かって欲しいと願っていたのは確かです。一つは、永遠の命という救いは、自分が何かをすることで得られるのではなく、神の無償の愛に基づいて与えられるのであるということです。私達は、ともすれば救いというものを何かの資格や免許を取るみたいに自分の努力次第に手に入れられるようなものだと勘違いすることがあります。しかし、救いは私達側の行ないとは関係なく、ただ神の恵みによって与えられるものです。そして、もう一つは自分が一番頼りにしているものは何かを知りなさい、ということです。本当は神の救いよりもお金の方を頼りにしている、というのが彼の正確な自己診断でした。だから、彼は悲しんでそこを立ち去ったのです。
実は、この彼の姿は私達人間の普遍的な姿です。誰も自分の持っているすべてを施すことは出来ません。イエスのように自分のすべてを人々に捧げ、進んで十字架にかかるようなことは出来ません。しかし、ルターはクリスチャンのことを「小さきキリスト」と呼んで、イエスに倣って隣人のために自分の何かを少しだけ犠牲にすることは出来ると励ましました。誰かのために、自分のプライドを犠牲にして自分に非がないにも係わらず、人に謝ることも出来ます。または、イエスが当時の宗教指導者たちにそうしたように、弱い立場の人々を守るために、不利益を被ることを恐れずに、声を上げて抗議することも出来ます。または、自分の時間、お金、自分の才能を自分だけのためじゃなくて、困っている隣人のために捧げることだってできます。「小さきキリスト」として生きることができるのです。
礼拝:日曜日午前10時(オレンジ・カウンティ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。