キム・ホンソンの三味一体
vol158 人間の視点、神の視点
2021-10-01
聖書の中に子供達をイエスに触れてもらおうと連れて行こうとした親達を弟子たちが叱ってやめさせようとした話が書かれています。するとイエスは弟子たちを見て憤り「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(マルコ10:14)と言いました。
当時の社会通念においてこのイエスの言動は衝撃的なものだったに違いありません。というのは、子供は何の能力も持たない存在、人として価値のない存在だと人々は考えていたからです。当時の人々にとって人の価値をはかる基準はただ一つ、律法を学びそれを守ることができるかどうかだけでした。しかし、子供は律法を学ぶことも、それを守ることもできないので人として価値のない存在だとみなしていたのです。
しかし、イエスはそのような子供たちが来るのを妨げるなと言い「神の国はこのような者たちのものだ」、すなわち「あなた達が価値がないと思う者たちのものだ」と宣言したのです。人々は神の国に入るためには、それこそ人一倍律法の知識を学んで、徹底的にそれを守り抜かなければならないと思っていたのです。しかし、イエスはそれとはまるで逆のことを言いました。イエスは、能力や社会的地位、容姿や功績で人を見ていた人々の視点ではなく、神の視点を人々に示したのです。神の目からみると、価値のない弱い存在こそが神に愛され無条件に受け入れられる存在だということです。その後、イエスは「子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」(マルコ10:16)とあります。
私たちの教会でもこれにちなんで子供一人一人に手をおいて元気で良い子に育つようにと祝福し祈る「子供祝福式」というものを行なっています。しかし、子供達のみならず、教会はイエスが言わんとしたすべての人々をも積極的に受け入れ祝福しなければならないと思っています。
人々から価値がないと見られ隅に追いやられがちな弱い立場の人々、すなわち、不法、合法を問わずすべての移民や難民の人々、ホームレスの人々、人には言えないような悩み、痛みを抱えた人々、そして、その他のすべての社会的な少数者の人々の痛みに寄り添い、それらの人々と共に歩むことが私たちのミッションです。
礼拝:日曜日午前10時(オレンジ・カウンティ)、日曜日午後2時(トーランス)
お問い合わせ:khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

