キム・ホンソンの三味一体
vol.155 性的マイノリティと性的マジョリティが 共生する社会、そして、それを支える教会
2021-08-13
キリスト教は、性的マイノリティーの人々を宗教的に罪人として断罪しているという誤解がありますが、それはプロテスタント教会全体ではありません。ある一部の教会でのみ聖書に書かれた幾つかの内容を根拠に性的マイノリティーの人々を断罪しているのは事実だと思います。キリスト教信者にとって聖なる書物とまで呼ばれる書物に書かれているわけですから無理もありません。
1517年にマーティン・ルターによって始められた宗教改革がきっかけとなり、その後様々なプロテスタント教会が生まれるのですが、宗教改革の際、ルターが掲げた標語の一つに「聖書のみ」というのがありました。しかし、この時の「聖書のみ」というのは一部の教会の人々が考えているように聖書に書かれた全てのことば、その一字一句は絶対に誤りのない神のことばであるとする「逐字無謬説」のようなニュアンスではありませんでした。例えば、免罪符を買えば天国に行けるという聖書的根拠のないことをも行なう当時の教会の絶対的権威に対しての抗議の意味が込められていたのです。
後にルターは聖書を、緑児イエスを寝かせていた飼い葉桶にたとえています。その飼い葉桶は、実際に貧しい農家で使われていたものでした。だから、木の一部が裂けて割れ目があったり、さびた釘が曲がったまま打ち付けられていたりしても何も不思議ではありません。同じく聖書も、限られた能力と知識を持って、限られた場所で、限られた時間を生きた人々によって書かれたものに過ぎない。だから、聖書には、人間的なミスや間違いや偏見のようなものも含まれています。しかしながら、と同時に生ける御ことば、すなわちイエスキリストをも確かに含んでいるわけです。
ルターの宗教改革によって始められたルーテル教会に属している私達が、この度「性的マイノリティ(LGBTQ)と性的マジョリティが共生する社会、そして、それを支える教会」と題してZoomを使ってのパネル・ディスカッションを計画しています。実際に、日本でLGBTQのクリスチャンとして活動しておられる方々をお迎えして、偏見に打ち勝ってキリスト教の信仰に基づいて互いを愛し合って生きるために、私達には何が必要で何ができるのかをそれぞれの経験を通して語っていただこうと計画しています。
2021年8月27日午後5時スタートです。参加を希望する方はメールでお知らせくださるとZoomのリンクをお送りいたします。 Khs1126@gmail.com (714) 964-1912
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。