What’s Up, 神主さん?
第21回 神葬祭<1>
2021-07-23
パーキンソン病を患っていた母が急死し、コロナ禍の中、帰国して神葬祭に参列しました。神葬祭とは神道式のお葬式で、葬儀関連の一連のお祭りすべてを指します。「お祭り」と聞くと賑やかな御神輿や縁日をイメージされる方も多いと思いますが、「祭り」とは「祀る」が語源で、神様を「お祀りする」イベントのことですので、お葬式も「祭り」になります。神道では、死ぬと家族の守護神(まもりがみ)になると考えます。
亡くなって50日は、親族や親しい友人だけでなく、本人もこの世を去ったことを実感する期間です。故人への敬意と感謝を表す儀式やお祭りを重ねていき、喪失を理解し、守護神として家族を見守ってくれるよう願います。また、故人はいくつものお祭り(段階)を経て神様になっていきます。
母の実家は仏教でしたが、社家(しゃけ)に嫁いだことで母の葬儀は出雲地方の社家のしきたりを踏襲したものでした。
帰幽奉告(きゆうほうこく)に始まり、枕直しの儀、納棺の儀、発柩祭(はっきゅうさい)、通夜祭、遷霊(せんれい)祭、葬場祭、火葬祭、十日祭、廿日祭、三十日祭、四十日祭を行い、五十日祭の後、墓地に赴き、納骨祭、自宅に戻って帰家(きか)祭、そして、合祀(ごうし)祭で御霊舎(みたまや)に霊爾(れいじ)をお祀りして一段落となります。その後、百日祭、一年祭、三年祭……と続きます。
葬場祭が英語で言うメモリアル・サービスで、親族だけでなく、友人・知人が参列します。
葬儀の後の直会(なおらい)で、私の大伯父に当たる白潟天満宮の宮司が、同神社の前宮司(私の祖母の兄)の広島での被爆体験を初めて話してくれました。原爆が投下された時、後ろにいた人の手で背中を押されて倒れ、そのお陰で致命傷を免れたそうです。その後、次々と運ばれてくる死亡者の弔いの儀式を神主として毎日行い、周りが復員するのを見ながらも続けたそうです。お酒を飲むと背中に手の跡が浮き出たそうで、「この人のお陰で生きている。感謝しきれない」と話していたそうです。
今年も8月6日・9日が来ます。アメリカ出世稲荷神社では、ロサンゼルス時間の8月5日に原爆犠牲者慰霊祭を斎行し、当神社のYouTubeチャンネルShintoInariでライブ配信します。また、慰霊祭に続いて、被爆者の経験談も紹介し、平和への決意を改めます。原爆投下直後の広島では一連の神葬祭は不可能でした。亡くなられた方々の御霊が安らかなることを一緒に祈りましょう。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

