キム・ホンソンの三味一体
vol.150 実は、逆だった
2021-05-14
「あなたがたが、わたしを選んだのではない。わたしが、あなたがたを選んだ。」
これはイエスが弟子達に対して話した言葉です。宗教を持つということは、確かに誰かの勧誘などが切っ掛けではあったとしても、最終的にその宗教を選ぶかどうかは本人の選択だと考えるのが当然のように聞こえます。しかし、キリスト教の場合は、一人一人がキリストに選ばれたということをクリスチャンなら意外と普通に受け入れています。
よく考えてみますと、クリスチャンかどうかを別にしても私達の人生の中において、自分が選んだようでそうでないことは幾つもあります。代表的な例が子供です。確かに子供が欲しいと子供を望んだのは親自身です。しかし、実際は子供は親の選択を超えて与えられるものです。ここで「天国の特別な子供」という詩をご紹介します。
「会議が開かれました。地球からはるか遠くで、『また次の赤ちゃんの誕生の時間ですよ』、天においでになる神様に向かって天使たちは言いました。『この子は、特別な赤ちゃんでたくさんの愛情が必要でしょう。この子の成長はとてもゆっくりに見えるかもしれません。もしかして、一人前になれないかもしれません。だから、この子は下界で出会う人々に、特に気をつけてもらわなければならないのです。もしかしてこの子の思うことは、なかなか分かってもらえないかもしれません。何をやってもうまく行かないかもしれません。ですから私たちはこの子がどこに生まれるか、注意深く選ばなければならないのです、この子の生涯が幸せなものになるように。どうぞ神様、この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください、神様のために、特別な任務を引き受けてくれるような両親を。
その二人は、すぐには気づかないかもしれません、彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。けれども天から授けられたこの子によって、ますます強い信仰と豊かな愛をいただくようになることでしょう。やがて二人は自分たちに与えられた特別の神の思し召しを悟るようになるでしょう。神からおくられたこの子を育てることによって。柔和で穏やかなこの貴い授かりものこそ天から授かった特別な子供なのです。』」
この詩は先天的な障害をもって生まれた子供を育てるお母さんが書いたものです。我が子に障害があることを知った時、きっと失意と絶望にさらされたことでしょう。しかし、それが自分の選択ではなく、神によって選ばれたことに気づくようになり、それ以来その子供を通して神の恵みと愛に触れるようになったそうです。
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