マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.10 Somehow
2021-04-02
ニューヨークの大学院に通っていた頃のこと。夏休みに東京に里帰りするときには当時小学生だった姪にアメリカのお土産を買って帰るのが恒例となっていたので、マジックが好きだった彼女におもちゃのマジックセットを買って帰ったことがありました。
英語で書かれた説明書を私が読んで姪に教えてあげながら遊んだのですが、マジシャンが目隠しした状態で相手に小さな箱に入れてもらったサイコロの目を当てるマジックがあり、説明書には「箱にサイコロを入れてもらったら、どうにかして(somehow)サイコロの目を見ておく」と書かれていました。
こっちとしては肝心なタネを教えて欲しいのに、それをユーザーに丸投げする説明書には思わず笑いそうになったのを覚えています。「マジックの道具」という商品が「これでどうにかしてマジックをしてください。やり方は任せます」と言っているわけで、もはやこれは詐欺なのではないか、とさえ思いました。
同時に、私たちは普段「どうにかしてやる」ということばを聞くことがほとんどないことにも気づかされました。結果を出すためにはその方法が求められます。書店やメディアにはお金を増やす方法から集客のノウハウ、SNSを駆使したマーケティング術、理想の相手と出会うコツ、ポジティブな生き方に到るまで、「このようにやる」が溢れています。「どうにかしてやる」と書かれたビジネス本が売れることはないでしょう。
でも、「どうにかしてやる」は無責任な発言でしょうか。私たちは「どうにかしてやろう」と考える前に星の数ほどのノウハウに飲み込まれ、自ら発想する前に既存の選択肢に自分を当てはめてはいないでしょうか。それだけでなく、「どうにかしてやる」という次元を超えて、そもそも「『やる』ことに一体どんな意味があるのか」という究極の疑問に向き合う機会を失ってはいないでしょうか。お金を儲けることの意味は?理想の相手と出会うときの「理想」の意味とは?
「どうにかして」箱の中のサイコロの目を盗み見る方法を思いついた私は姪にそれを説明し、姪はママを相手にマジックを成功させていました。眼をキラキラ輝かせて得意げに笑う姪の表情が忘れられません。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

哲学者。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て渡米。ニュースクール(The New School for Social Research)にて哲学博士号を取得した後、ニューヨーク市立大学(CUNY)をはじめ、ニューヨーク州・ニュージャージー州の複数の大学で哲学科非常勤講師を兼任。専門はアメリカンプラグマティズム、ジョン・デューイの哲学。現在は東京にて論文執筆、ウェブ連載、翻訳に従事。ウェブでは広く文化事象について分析を展開。








