マイ・ワード・マイ・ヴォイス
vol.6 レクリエーション
2020-12-04
皆さんはrecreationと聞いて何を連想されるでしょうか。小学校の催しで楽んだゲーム?ビンゴ大会などのイベント?いずれにしても何か楽しいことを思い浮かべるはず。事実、recreationは「気晴らし、働いた後の休養」という意味の英語です。
もうひとつ英語にはre-creationということばがありますが、これは文字通りre(再び)create(創る)こと。新たに作り上げる、改造するという意味です。その対象が自分だった場合、新たな視座を手に入れて世界を捉えなおすこと、それが出来る自分に生まれ変わること、となります。
この二つはそれぞれ娯楽と芸術に対応していると言えます。家事や仕事で疲れた心と体をリフレッシュするために楽しむのが娯楽。週末に趣味のテニスをしたり、一人で映画を見たり、友達とおしゃべりしたり。英気を養ったらまた月曜日から頑張ろう、と。
芸術は世界のあり方や自分の存在の意味などを根源的に問い、鑑賞する前と後では世界が違って見える地点にたどり着くための表現です。もはや後戻りできない場所に行き着き、新たな自分を発見すること。例えばソフォクレスの『オイディプス王』は私たちを日常から引き剥がして人間の実存そのものに向かわせます。
多くの場合、娯楽と芸術は真逆のものとして語られることが多いです。でも、どちらも「レクリエーション」と捉えるなら根は同じものだとは言えないでしょうか。一枚のコインの表と裏のように。
日常を支える常識や倫理が定める「こうであるべき」、政治や経済や科学が定める「これが正しい」が届かない場所に私たちを連れて行く。でも、そこからまた私たちを日常に連れ戻す。戻った場所は何も変わらない日常。でも全てが変わっている。そんな経験をもたらすもの。
そんなものあるのか、と思われるでしょうか。recreationとre-creationが分断されてしまった現代では得難い経験かもしれません。でも私は哲学的な問いを誰かに投げかけ、対話をする度に両方の意味を含むレクリエーションを体験します。
ソクラテスは一冊も本を書かずに人との対話を繰り返しました。彼が対話に見出したのはこのレクリエーションの力だったのでは、と思えてなりません。そして私にとってはこのコラムもレクリエーションなのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

