キム・ホンソンの三味一体
vol.133 大きな声にかき消されがちな小さい声
2020-05-07
先週の日曜日は、羊たち(私達)をケアし安全な道へと導こうと声をかける羊飼い(イエス)についての聖書の例えから私達がおかれている現状について考える時を持ちました。
動物に関する記事で読んだのですが、羊は近眼で遠くを見渡すことが出来ないため羊飼いの声に頼るところが大きいそうです。そのため飼い主の声じゃないと決して動くことがないのだそうです。人間でいうと、小さな子供達は公園で夢中になって遊んでいてもパパやママの呼ぶ声がするとすぐに気がつきます。知らない人の声には全く反応しないし、ましてやついて行こうなんて全く思いません。
創世記には、アダムとイブが神によって禁じられていた知恵の樹の実を食べることで罪を犯し、神との関係を失ったという「堕落物語」が書かれていますが、これは決して実際に起こったことではありません。イスラエルという当時のパレスティナの弱小民族の自己反省として、バビロン捕囚という民族の苦難、弱肉強食のような社会の構造的な悪を、自らの罪の結果だとし、その原因は、知識というものを手に入れ、神の保護を受けなくてもよい状態を望んだところにあるということを、神話的な方法で書き記したものです。
紀元前1400年頃に書かれたとされる創世記ですが、今の私達の社会にも当てはまるところがあるのではないでしょうか。羊のように弱く純粋な子供達は、けして自分の羊飼い以外の人々の声に従ってついて行ったりすることはありません。しかし、大人になってそれなりに知識を持つようになると、自分に語りかける相手が誰であるかよりも、着ている物、持っている物、自分に得な話しかどうか等でついて行くかどうかを決めたりするのではないでしょうか。
多くの人々がコロナウイルスに感染し、これからもさらに多くの死者を出すだろうと言われている中にあって、私達には色々な声が聞こえて来ています。経済を最優先にする声、溜まった欲求を発散したいという声、自分の政治的な立場を最優先に考える声などがそうです。しかし、これらの大きな声にかき消されがちな真実の声、すなわち、人の命を最優先にする声、苦しむ人々を顧み彼らに寄り添う声、揺るぎない希望について語り続ける声こそ、私達のことを誰よりもよく知り、ケアしている羊飼いの声かも知れません。
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※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

