What’s Up, 神主さん?
第2回 神道は宗教? (前編)
2019-11-30
神主兼映画ジャーナリストの、はせがわいずみです。先月から始まったこのコラムでは、日本の伝統文化や慣習、神話などをご紹介していきます。
こんな会話を耳にしたことがあります。
Aさん「この前帰省して、出雲大社にお詣したの」
Bさん「良かったねー。今度、ロサンゼルスで神道のイベントあるからお詣しようか?」
Aさん「あ、私、宗教しないから……」
神道は宗教でしょうか?
「宗教」の定義が「創始者がいる」「創始年がある」「聖書・経典がある」「布教の概念がある」というのであれば、神道はそのどれもありません。
「神道」の存在は2000年以上前にはあったと言われていますが、いつ始まったのかハッキリとは分かりません。また、天皇が神道の創始者の子孫ではないのは周知の通りです。お祭りで神主が読んでいる「祝詞(のりと)・祭詞(さいし)」は、神々への感謝と祈願を綴った「詩」であって、聖書や経典ではありません。では、「神」とは誰(何)のことなのでしょう? もし宗教であるならば、なぜ、「仏教」「キリスト教」などのように「神教」と表現せず、「剣道」「茶道」などと同じ「道」という表現をするのでしょう?
古代の日本人は、太陽、月、水など、目に見えるもの、生き物だけでなく、縁(えん)や豊穣(ほうじょう)など、目に見えない力、自然や自然現象など、全てのものに霊的なもの・神性・スピリットが宿ると考え、それを「神」と呼び、感謝と畏敬の気持ちを抱いてきました。また、祖先がいたからこそ今の自分があるとして、祖先も「神」として大切に敬ってきました。そんなワケで、数え切れないほどの「神」がいると考え、「八百万(やおよろず)の神々」という表現をしたのです。
でも、それは過去の話ではありませんよ。21世紀になった今も、就職や結婚で多くの人が「縁」を信じ、何かを捨てる時に「もったいない」と感じるでしょう? 神道の考えが日本人の中に受け継がれているのが分かります。神道の「調和と共存を大切にする」という生き方を踏襲してきた日本人は、東日本大震災で被災した後、暴動を起こすことなく静かに炊き出しに並ぶという行動で世界を驚かせました。
神道は日本人の伝統文化・慣習の礎となっている生活スタイルなのです。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

