キム・ホンソンの三味一体
vol.110 ワイン、人生の喜び
2019-01-24
新しい日本語の教会が始まってもう2週間が経ちました。私達の教会では、礼拝の説教を牧師が勝手に選んだ聖書の箇所からすることはありません。毎週の礼拝で説教をする聖書がすでに決められていて、世界中のルーテル教会がその同じ聖書の箇所に基づいて説教がなされているということです。だから牧師は自分の個人的な好みや言いたいイシューから自由になって人々に神のことばを届けることができるのだと思います。
先週は、ある結婚式の披露宴に出席していたイエスが、その披露宴でワインが足りなくなったことをご覧になって水をワインに変えて人々に与えた、という聖書の箇所から説教を届けさせていただきました。ここでのワインというのはただのアルコールではありません。例えば「生きる喜び、祝福、ぶどうの実りから来る充実感」といった人生における活力元のようなものを表わしています。「ワインがなくなってしまった」・・・つまり、生きる喜びを提供してくれるものが尽きてしまう。今までこれを生き甲斐に生きてきたのに、それがなくなってしまったという体験は誰にだってあると思います。
自分にとってそのワインとなる物は何だろうかとふと考えてみました。真っ先に頭をよぎったのは家族でした。妻と8歳の娘と4歳の双子ボーイズが自分にとってのワインであるわけです。しかしこの私の人生のワインがいつまでも続くことはないってこともよく知っています。やがて子供達は成人し家を離れ、妻と私もどちらかの死によって離ればなれになることでしょう。(とにかく離婚されることだけはないように頑張るつもりですが...)そう考えると人生というのはなんと虚しいものだろうかと思います。
しかし、イエスが創ってくださったワインを味見した料理長の一言でその虚しさが吹っ飛びます。「普通、初めに良いワインを出して酔いがまわって来たところに劣ったワインをだすものだけど、あなた(花婿)は良いワインを今までとっておかれましたね!」自分の人生のワインが切れたとしても、希望を持ち続けることができる。神が与えるワインはさらに良いもので人生の虚しさに飲み込まれることがないからです。
毎週日曜日午後2時、日本語によるルター派(宗教改革を行いプロテスタントの始まりとなった教会)の礼拝があります。クリスチャンでも他宗教の方や無宗教の方でも大いに歓迎いたします。
「聖霊の実ルーテル教会」
2706 W 182nd St. Torrance, CA 90504
Khs1126@gmail.com (310) 339-9635
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

