来夏の映画観ようよ♪
vol.27 スワロウテイル
2019-01-03
今年、西暦2019年。日本では『平成』が終わり、五月から新年号が始まる―昭和の終わりに生まれた自分にとって平成は人生のほぼ全て。新しい一年への意気込みと郷愁がない交ぜになった複雑な気分でいる。
「むかしむかし、円が世界で一番強かった頃」、円を稼いで裕福になろうと世界中から移民が集まり、その街は“円都(イェンタウン)”と呼ばれていた。円都で母を亡くし、国籍も名もなく孤児となった少女が、同じ移民である娼婦グリコに引き取られアゲハと名付けてもらう。ある日アクシデントによりヤクザを死なせてしまったため、二人は“あおぞら”というなんでも屋に身を潜め、グリコの恋人フェイホンや、沈着冷静な店主ラン達と共に新たな生活を始めるのだが…。
映画が公開された1996年=平成8年頃は、輝かしい時代だったと記憶している。街では“ルーズソックス”を履いた女子高生が闊歩し“プリクラ”を撮り、子ども達は“たまごっち”や“ポケモン”に夢中になった。J-POPのCDは軒並みミリオンセラー、木村拓哉主演のドラマは視聴率36.7%!バブル景気はとっくに終わっていたが、それでも活気に溢れていた。だからこそ、この国に大量の移民が押し寄せ中国語や英語が入り乱れ、闇医者や麻薬がはびこるスラムまで存在するという設定は、当時とても斬新で摩訶不思議な世界観に思えた。しかし、外国人労働者や訪日客が大幅に増え、外国語を耳にするのも当たり前になった今、この映画は宇宙のどこかに存在するかも知れない並行世界を描いた作品ではなく、もっと親近感を覚えるものになったと感じた。そして、三十年余続いた平成の中で最も好きな邦画である。
年号なんて煩わしいものはやめて西暦で統一したらいいじゃない、という意見も聞くが、お箸は一膳、兎は一羽、箪笥は一竿…と物を数える単位のように、日本独自の文化は大切に守っていきたい。それに、過去の年号を振り返ってどんな時代だったかを区切って考察するのも面白いではないか。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

