キム・ホンソンの三味一体
vol92 ヒスパニック系中年男性との熱い握手
2018-01-25
先日、身の上のことでご相談に来られた方と教会のオフィスで話をしていた時に、誰かが弱々しくドアをノックしていることに気づきました。誰だろうかとドアを開けると、とても背の低い痩せたヒスパニック系の中年男性が立っていました。彼は私にスパニッシュは話せるかと聞いて私が話せないと言うとたどたどしい英語で話しはじめました。話を聞く前から、以前ソーシャルワーカーとして働いていた経験からして、きっとお金が必要だと言うのだろうと分かっていましたが、一生懸命に話している彼を見て、一応最後まで話を聞くことにしました。
一年前に仕事を失ってから仕事を探してきたが見つからず本当に困っていたようです。奥さんがパートタイムで働いているので夫婦と子供二人が食べていくことは何とかなっているものの、自分に早く仕事が見つからないと家族がだめになると思うのだそうです。そして今日知り合いの紹介でやっと仕事をみつけたと一瞬目を輝かせながら話しました。しかし仕事初日の明日から自前の作業用ブーツを持って行かなければ雇ってもらえないと言われたが、そのブーツを買うだけの現金が自分にはないのだと言いました。
ソーシャルワーカーとしてのプロフェッショナリズムからすれば、助ける側と助けられる側の間に境界線を設定し、感情的なサポートはしつつも感情移入はしない、そして相手の依存心を高めるような(例えば金銭的な)軽率なサポートなども決してしないという鉄則があります。しかし彼がポケットから出して見せてくれたくしゃくしゃになったブーツの広告、おそらく新聞か雑誌から破り取ったと見えるその広告を見て、あくまで牧師として自分の心の声に従って自由に行動したいと思いました。
おそらく彼はブーツのことを考えながら当てもなく歩いている途中、教会の十字架が目に入ったのでしょう。十字架が象徴する恵み、愛、犠牲のようなストーリを思い起こしドアを叩いたのだと思います。そして彼の話しを聞いて共感した私も自分自身を彼のストーリの一部として重ねたいと思いました。
財布の中にあった現金は丁度そのブーツの値段の半分でした。「まだ朝だからこれから頑張って友人や知り合いを訪ねて残りの半分のお金を借りてください。出来ますか?」彼は両手で私の手を強く握って震える声で「神の祝福があなたにありますように」と何度も言いました。二人で手を握っていたのは10秒ぐらいだったでしょうか。全く違うバックグラウンドの二人がそれらの違いを物ともせず乗り越え完全な一体感をもって連帯することの出来たこの感覚は、誰一人も疎外されることなく違いをもつすべての人々が受け入れられ慰められる教会を作って行こうとする私への神の祝福であり励ましでした。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

