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コラム

編集部
パラリンピック正式競技・車いすテニス 20年の東京・28年のLAを目指す 日本・アメリカ・カナダの若い選手たち <1>

2018-01-20

 1月6日と7日の二日間、車いすテニスの国別対抗・国際親善試合「JTB 車いすテニス・グローバル・チャレンジ」(B Adapitve Foundation主催)がロサンゼルス近郊にあるペニンシュラ・ラケット・クラブで行われ、日本、アメリカ、カナダから12人の十代の選手が参加し、熱戦を繰り広げた。

 車いすテニスはパラリンピックでも正式競技となっており、2020年に開催される東京、2028年に開催されるロサンゼルスの両パラリンピックでは、日本人選手とアメリカ人選手の活躍が期待される。そこで、今回の親善試合に参加していた各国の選手や関係者に、各国の車いすテニスの現状や今後の抱負をインタビューした。毎日連載。

坂口 剛さん

一般社団法人 日本車いすスポーツ協会 代表理事
車いすテニスクラブ「ウラテク」校長

障害者スポーツの指導者不足が課題

 ―日本の車いすテニスには、世界のトップレベルの選手がいますね。車いすテニス男子シングルスで史上初のグランドスラムを達成した国枝慎吾選手やリオデジャネイロ・パラリンピックで女子シングルスで日本人初の銅メダルを獲得した上地 結衣選手。

 日本では車いすテニスが盛んなのでしょうか。


 坂口 日本では、ジュニア(18歳以下)が盛んに行われているという状況です。今回の親善試合に参加した4人の日本人選手は13歳と14歳です。

 車いすテニス競技だけを見ると、国枝君を筆頭に大人のトップ10に日本人が3、4人は入っています。国枝君は33歳で、他の選手も30歳前後です。日本には、15歳〜30歳までの車いすテニスの選手がほとんどいません。

 国枝君ともよく話をしますが、彼は「自分はタイミングが良かった。運が良かった」と言っています。

 これは、たまたま自分に障害があってスポーツをやろうとした時に、たまたま指導者がいた、たまたまその環境があった、たまたま良い指導者に巡り会えたということです。

 ここのようなことは、障害者のスポーツに限らず、よくあることだと思います。しかし障害者スポーツでは指導者不足なので、絶対数の問題で良い指導者に巡り会う確率が少ないですね。指導者不足は、各国共通ではないでしょうか。

 なぜかというと、障害者スポーツの指導者というのは、生業としてはなりにくいからできないんですよ。根底に経済的な問題があります。もし結婚をして家庭があれば、とてもではないけれど指導者はできないです。

 毎年、世界中で障害がある人が生まれ、ある時点で障害者になる人がいます。そして多くの場合、障害を持っている人たちが何かをしようとした時に良い指導者がいなかった。しかし、国枝選手は良い指導者に巡り会うことができて、彼に引っ張られるように、彼より少し年下の年代の選手たちがついていったという状況です。

 一方で、さらにその少し下の年代になると車いすテニスの選手はいなくて、今回参加している4人の年代になると環境もあり、良い指導者に巡り会えて競技人口は増えました。

応援にかけつけたロサンゼルス在住の二人の日本人から歓迎のネックレスとプレゼントを贈られた日本人選手たち。(中央4人、左から)佐原春香さん(14歳)、川合雄大さん(13歳)、大内山匠さん(13歳)、坂口竜太郎さん(13歳)


障害者スポーツへの社会の認識

 ―障害者スポーツへの国からの支援などはいかがでしょうか。

 坂口 日本では、障害者スポーツというのは、そもそもレクリエーションやリハビリであるという認識が未だに抜けていません。スポーツとしてエンターテーメントとしての認識がありません。趣味ですね。

 趣味のために国や地方自治体などのお金を出してまで発達させる必要がないという“暗黙の了解”がある雰囲気ができてしまっているので、何かをしようとした時に動きがとれません。

 今回、アメリカチームのコーチと話ましたが、アメリカも同じような状況だそうです。障害者テニスに関していうと、二番手、三番手くらいのニュアンスでとらえられているということでした。

 今回参加しているアメリカチームの選手は15歳〜19歳です。アメリカは16歳以下の車いすテニス人口がとても少ないようです。

 すっぽり抜けている年代が、それぞれの国で違います。アメリカの場合、16歳以下の選手も潜在的にはいるはずですが、環境がないようですね。

 ―今回、参加した日本人選手を指導しているのはどのような方たちでしょうか。

 坂口 たまたま今、志のある方たちが出て来てくださって、ご指導いただいています。
 現在のヘッドコーチは、ずいぶん昔に車いすの方と関わったことがあり、車いすの人の知識が全くなかったわけではないので、障害者スポーツの指導者として入りやすかったようです。他のコーチは車いすの障害者と接する経験がなかったけれど、、我々の志に共感してくださり、お手伝いをいただいているという状況です。

日本チームと対戦したアメリカチームのダブルスペア。世界ランキング40位のケイシー・ラッツラッフさん(19歳)(右)と世界ランキング50位のクリス・ハーマンさん(19歳)


前例がないので自らスポーツ協会を創設

親善試合で健闘する坂口さんの息子の竜太郎さん


 ―坂口さんが、一般社団法人日本車いすスポーツ協会を創設されるまでを教えてください。

 坂口 私の息子が2歳の時に交通事故に遭って障害をおいました。障害をおったけれども、障害をおっただけだから、他の子どもと同じに育てればいいんだろうって思っていたら、いろいろな面でそうではありませんでした。

 保育園に入園しようとしても保育園では入れてもらえなかった。理由は「障害があるから」でした。家族でレストランに食事に行こうとしたら、レストラン側から「すみません、車いすの方は…」と断られたこともしょっちゅうでした。今は少なくなりましたが…。

 息子が交通事故に遭った当時、交通事故で脊髄損傷をおって生きていた2歳児の子どもは、息子の他にいませんでした。医療の発達によって、以前は亡くなっていたのが命をとりとめることができるようになりました。

 息子の場合、日本では前例がなく珍しいケースだったので医療機関でも拒否が続きました。病院にも入れなくて、リハビリもさせてもらえなかった。入院もできませんでした。日本全土がそういう状況でした。

 そこでリハビリのために渡米したのですが、私が調べた限り、アメリカにも前例がなかったんです。アメリカにある数多くの病院やさまざまな施設にも問い合せましたが、交通事故で脊髄を損傷した子どもを受け入れてくれる病院やリハビリ施設はほとんどありませんでした。息子の場合、タイミング的には珍しいケースだったんです。

 結果的に、アメリカにはリハビリのために2年ほどいましたが、当時の“どこにも行く所もなくて、何もやれることがない”という体験から、それなら“やれる所を作るしかない”という想いになって、一般社団法人・日本車いすスポーツ協会を設立しました。


 (1月23日付けにつづく)


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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