後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第401回 五輪までに世界一を目指す日本勢
2016-11-17
画家L・ダビンチの挑戦は五百年前の空に向かって飛び立つことだった。
現代人の挑戦は、乗り継ぎ便利な「国際空港」と、もてなしに徹する「エアライン」の創造だ。
二○一六年ワールド・エアポート・アワード調べによると、一番人気はシンガポールのチャンギ空港。
二位仁川空港、三位ミュンヘン空港、四位羽田、五位香港空港で、九位に関空が名を連ねる。
国際空港快適度ランキング二○一六年版によると一、二位は前記と同じ。
三位、六位は日本勢の羽田と関空。四位に台湾空港、五位にミュンヘン空港と続いている。
よい「エアライン」は空旅の愉楽。
Eロード満足度二○一六年調査が四千百人の回答をもとにエアラインベスト一○をまとめた。
それによると、シンガポール航空が五年連続のトップ。
二位全日空、三位KLMオランダ航空、四位ニュージーランド航空、同四位エミレーツ航空(ドバイ)、同四位日本航空。
さらに七位タイ航空、同七位エールフランス、九位オーストリア航空、十位カタール航空、同十位ブリテイッシュ航空と続く。
ベスト一○は欧州四社、アジア四社、中東二社で、米国、韓国、台湾勢はいづれも選外だった。
料金、座席、食事、機内エンタメで見劣りすると即、客が去る時代だ。
ダビンチから苦節三百年余の一七八三年、フランスのモンゴルフイエが有人熱気球を九㌔飛行、飛行熱に火をつけた。
十日後、水素ガス気球に乗ったシャルルが飛行距離を四三㌔に伸ばした。
一九世紀後半にフランスのジファールが蒸気機関で飛行船を、ドイツのリリエンタールがグライダーの有人飛行を、成功させた。
一九○三年は記念すべき年となった。有人の飛行機操縦にライト兄弟が成功、二六○㍍飛んだ。
江戸期一七八六年、日本の岡山にも空への挑戦者がいた。浮田幸吉、二八歳の表具師で、和紙の翼で約五○㍍飛んだという。
二○年の東京五輪までにエアライン世界一の座に就きたい日本勢。もてなしの心を更に磨いて頂上を目指す意向だ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

