後藤英彦のぶっちゃけ放題!
第413回 日本文化を代弁する「すみません」
2017-02-16
関三脚さんは羅府新報の川柳選者である。大学を卒業、カメラマンでキャリアを始めたので、「三脚」としゃれた。
別名サニー・セキ。私などは「サニーさん」と呼んでいる。
この人の本業は絵本作家である。
これまで日米両語の絵本を四冊出した。「まねき猫の話」は全米PTA絵本賞を受賞、八カ国語に翻訳され日本文化の紹介に一役かっている。
このたびカリフォルニア学校図書協会に招かれ日本の民話絵本の話をしてきたという。
サニーさんの電子メールをここに載せる。下手な記述より、講演の模様が生き生き伝わると思ったからである。
導入部はこうだ。
『どんどん、日本とアメリカの文化が近づいています。皆さんはどんな日本語をご存知ですか。フジヤマと芸者以外をお願いしますと言ったらものすごく受けたのです。
ボールルームには三百人以上のライブラリアンがいたと思いますが、二百人くらいが一斉に、日本の言葉を叫んだものだから、耳がガガ~ンとするほどでした。
空手、ラーメン、スシ、しょうゆ、俳句、酒、柔道などが共鳴しあったあと、一拍子あって、誰かが「ごめんなさ~い」とどなり、かなりの方が大笑いしました。
その直後、一番後ろの方から「すみませ~ん」という大声があったのです。これには参りました。そんなに大きな笑いは起きませんでしたが、拍手がありました。
私には日本文化が「すみませ~ん」に代表されているようで、大きなショックでした・・』。
なるほど、「すみません」は「至らない私を受け入れてくれて恐縮」と謙る和の社会の言葉だ。
孔子の「礼はこれ、和を用いるを尊しとなす」に感心した聖徳太子が、十七条憲法の一条に「和をもって尊しとなす」と書いたのは当たりだった。
しかしここ米国で「ソーリー」(悪いのは私)を言ったら全面敗北である。
会場に受けたのは、日本人が「ソーリー」と「イクスキューズミー」(勘弁して)とサンキューを混同、万事を「ソーリー」で済ましてしまう不思議さゆえだ。
〝謝る日本人″は米国人にはとわに謎である。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

