苦楽歳時記
第224回 タンシチューとダッチオーブン
2016-11-09
昔、ハーバーシティの陋居(ろうきょ)に住んでいたころ、涼風いたる秋日の午後、アンニュイなひとときにオレンジ・カプチーノをたしなんだ。リビングルームにはメロウなジャズ・ボサノバが流れている。
天窓からは、暮秋の日差しがゆるやかに差し込んで、キッチンのアイランドには柔らかい陽だまりできていた。
昼下がり、料理の手伝いをしてくれる、アンソニーの鼻歌が聞こえるころだ。今晩の献立はタンシチュー。まず、庭先にダッチオーブンを運んでから、ディナーの仕込みにとりかかることにする。
食材のほとんどが、家族ぐるみで付き合っているスパダロ・ファミリーからのものだ。いつも新鮮で厳選された食材をわけてくださる。
ここで、過ぎし日の回想を話したい。詩人の竹島昌威知先生とともに、大阪阿倍野の『グリル・マルヨシ』で玩味したタンシチューの味は忘れ難い。
その風味ときたら、潤いのある芳ばしい香りが小波(さざなみ)のようにただよってくる。濃厚なコクと小粋な妙味は、まるで調和のとれたバロック音楽のように風雅で、かつなよやかである。これほどまでに、赤ワインとマリアージュするタンシチューはまれだ。王侯貴族の料理番が作っているのかと思い違いしてしまうほどに、品位に満ちた美麗な追憶のかなたの味わいがした。
わが家では、感謝祭に味わうターキーもタンシチューも、滋味が増すダッチオーブンを使う。特別な日には、チキン、ラム、ビーフ、それから魚もダッチオーブンで調理する。
何かあると隣のアンソニーと、その仲間たちが手伝ってくれる。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

