苦楽歳時記
第221回 独断と偏見のノーベル文学賞
2016-10-20
誰が予想しえたであろうか。ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞。受賞の理由を聞いたときは吾が耳を疑った。
文学賞の選考はスウェーデン王立学士院の会員で、ソーダトン大学教授のサラ・ダニアス氏らによっておこなわれた。評価されたのは、「新しい詩的表現を生み出したことと、ギリシア時代の詩人ホメーロスやサッフォーの詩は朗読される。演じられるものを把握して詩を書いている。それらは多くの場合、楽器を伴うもので、そういう意味ではボブ・ディランと同じである」。
ボブ・ディラン氏は、自らギターを奏でてハーモニカを吹いて歌う。一方、ホメーロスやサッフォーの朗読された詩は、効果音として音楽が流される。作風も随分と違う。ホメーロスは叙事詩、サッフォーは抒情詩。
こじつけもここまでいくと詭弁である。サラ・ダニアス教授は、美術研究専門家である。文学賞を選考するのにあたっては妥当ではない。
ボブ・ディラン氏の代表作である『風に吹かれて』は、公民権運動やベトナム戦争を背景に、当時の体制に反対する歌として若者に支持された。このような意味において、最もふさわしいのは『平和賞』だと思う。
イギリスの作家、サルマンラシュディ氏は、ギリシアの吟遊詩人を例に挙げ、「ボブ・ディランは吟遊詩人の伝統の優れた継承者だ」と受賞を讃えた。
そもそも吟遊詩人というのは、恋愛歌や民衆的な歌を歌いながら各地を遍歴した芸人である。
ボブ・ディラン氏の作風とあまりにもかけ離れている。
ボブ・ディラン氏のノーベル文学賞受賞は、世界の作家や詩人たちから批判の声が上がった。
フランスの作家、ピエール・アスリーヌ氏は、「今回の決定は作家を侮辱するものだ。自分たちに恥をかかせたと思う」と述べた。
日本においては、大江健三郎(九四年ノーベル文学賞受賞)よりもかなり文学性の高い、井伏鱒二、谷崎潤一郎、西脇順三郎、三島由紀夫、安部公房らが、ノーベル文学賞を受賞していない。これは、まさしく独断と偏見のノーベル文学賞だ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

