苦楽歳時記
第211回 ホスピスケア
2016-08-11
牧師館でホスピスケアを受けていると伝えると、本紙、編集部のKさんが訪ねてきてくださった。日頃から食いしん坊の僕なので、美味しい馳走とスイーツを持参してくれた。
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ホスピスケアというのは、余命が限られた不治の患者が身体的、心理的、社会的、霊的苦痛から解放され、残された日々を人間としての尊厳を保ちながら、心身ともに安楽に過ごすことができるようにするためのケアである。
入院中、医師団に余命わずかと宣告され、僕は落胆の色を隠せなかった。退院後、自宅でホスピスケアを受けている際、フォークロジャーの最終勧告があり、やがて住処を失うという事態になった。家人とともに茫然自失となってしまった僕は、食欲も気力もなく声もか細かった。
そんな僕たちの状況を知った鍵和田牧師夫妻が、こころよく迎え入れてくれた。牧師館に移ってからは、ストレスから解放され、食事もできるようになり、少しずつではあるが元気になってきた。それから急激に顔色も良くなり、快食、快眠、快便の日々が続いたのである。
牧師館では信徒の出入りが多く、数日間宿泊される来客の話題も興味深くて勉強になる。バイブルクラスも、語る者が饒舌で笑い声が絶えない。食事や集会のときも、にぎやかで笑顔の渦。僕までもが陽気になれる。
緒教会の執り成しの祈りと、このような環境が浄化剤になり活路となって、僕の魂と骨身は、甦らされたのではないだろうか。
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抗生物質の内服を続けながら、ナースの指導を受けて、毎日、家人は内臓が見えている肺の穴に、薬液につけたガーゼを患部に押し入れる。これを三回くりかえす。
そのかいがあってか、肺の大きな穴から空気もれが止まった。一般の女性にはできないことであるが、家人は日本で経験をつんだ看護師だったのでありがたかった。
つねに鼻につけていた酸素吸入のチューブを、ドクターの指示の下で外した。
その後、一人で歩行することができるようになった。
やがて僕は、自分でも信じられないほどの活力がでてきて、日本送りの原稿も書き上げ、積極的にエクササイズも行なっている。
日が経つにつれて快復しつつあるのを毎回見せつけられて、ホスピスケアのチャプレン・サニーもソーシャルワーカーのノーマも涙ぐみ、「信じられない、ミラクルだ」と興奮していた。
ホスピスケアを始めてから三ヶ月経つと、ドクターの綿密な診察が始まる。三ヶ月ごとに細心の診察があるらしい。一応、異常がないとドクターが判断すると、ホスピスケアは卒業となる。
ホスピスケアを受けてきょうで七十八日、このままいくと、三ヵ月の卒業まであと十二日。ソーシャルワーカーが語るには、ホスピスケアを卒業した者は、未だかつてないらしい。
僕は、聖日礼拝に主席できるようになった。そして長時間の執筆と、新しい小論の構想をねっている。また、家人の指導により、一日に三回、本格的なリハビリを行っている。
「この調子でいくと業界新聞に載りますよ、アメイジングだって!」。久しぶりに訪れたノーマさんは、相好をくずしていた。
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『神のなさることは、すべて時にかなって美しい』(旧約聖書 伝道の書三:十一)
生還した僕は、今、美しい世に生きている。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

