苦楽歳時記
vol205 ヘミングウェイから学んだもの
2016-07-01
悪疾に倒れる前の話をする。あちこちに、ものを書き散らかしていると、日時の経つのが早く感じることがある。書くのは楽しい作業だけれど、仕事にしているとなかなか書けない場合もある。締め切りが迫ってくると、冷や汗がふき出して悶々としてくるのである。
新連載を始めるにあたっては、担当の編集者と折りが合わないと、最後まで不協和音を継続することになる。
反りが合う編集者にあたると、あうんの呼吸で物事が進んでいくので、イマジネーションが膨らんでいき、執筆する速度も軽やかになるのだ。
僕は執筆するのは早いほうであるが、推敲と読み直しには時間をかけている。すなわち、文章に風を入れる手法をとるのだ。随筆なら三、四編書きだめをしておいてから、数週間くらい寝かせておいて風を入れる。そして更に推敲して、脱稿したものから順番に各編集者に提出するのである。
この手法を学んだのは、アーネスト・ヘミングウェイからだ。彼は書き上げた原稿を銀行の貸金庫に保管しておいて、数週間から数ヵ月間眠らせておいて風を入れる。長きにわたって風を入れると、客観的な目で原稿と対峙できるという。
粘着気質のヘミングウェイならではの心算である。ノーベル文学賞受賞作品『老人と海』を通読すれば、彼の粘着天性が色濃くうかがうことができる。また、短編には簡潔した文体の作品が多く、これらの作品はハードボイルド文学の原点とされている。
ヘミングウェイは、人生のおよそ三分の一にあたる二十二年間をキューバで過ごした。かなりの酒豪で、ハバナの行きつけの酒場『El Floridita』で、大きなグラスに注がれた、特注のフローズン・ダイキリを一晩で十二杯も飲みほしたという。
今でもその酒場には、フローズン・ダイキリこと「パパ・ヘミングウェイ」として、メニューに記されている。
晩年には躁鬱病に悩み、鬱状態の時期の一九六一年七月二日、ライフル銃で自殺をとげた。享年六十一。今日はヘミングウェイの忌日。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

