苦楽歳時記
vol202 神様と志賀直哉
2016-06-09
経営の神様と言えば松下幸之助。野球の神様は川上哲治。(後に、川上哲治は野球の神様はイチローと発言)。そして小説の神様が志賀直哉である。
大正八年『白樺』に発表した短編小説「小僧の神様」が、志賀直哉を小説の神様と言わしめる一因であった。
当時の文壇は自然主義全盛の時代で、本多秋五が述べているように『白樺派』の作家たちは、思想的、抽象的思考に長じた文人ではなかった。そして『白樺派』のリアリズムの真髄といえば、志賀直哉の作品の数々である。
学生時代の血気盛りし頃の僕にとって、自然主義の文学は退屈極まる読み物の一つでしかなかった。『白樺派』といえば、「選ばれたる有産者」、「学習院」、「金のためや食うために、文学をやる必要はなかった」。生田長江が『白樺派』の連中のことを、オメデタキ「自然主義前派」と批判していたことが愉快であった。
この稿を書くにあたって、直哉の『城の崎にて』を今、読み返している。僕は三十歳半ばを過ぎる辺りまで、この小説が自然主義文学における、短編小説の極意であることに気がつかなかったのである。実を言うと認めたくなかったのである。
若かりし頃の僕には、『白樺派』に対する強いコンプレックスがあったのか、作品に真っ向から取り組んでやろうという意気込みが欠落していたのだろう。
僕は『城の崎にて』の読書感想のメモを、文庫本の頁の縁に走り書きしていた。「独自な理想を背景に綴られていく、巧みな自然主義の手法には感服するが、僕が標榜する散文芸術の意に反する」。
更に小説の神様に対して、僕は無礼至極な感想メモをしたためていた。「最後の二行は抹消すること、もしくは書き直し。陳腐極まりない」。僕は志賀直哉の評論集などはほとんど読んではいないが、同じような見識をもって指摘している批評家が他にもいるのではないかと信じて疑わなかった。
けれども、志賀直哉の小説を幾度も読み返しているうちに、すっかり直哉の文章に魅了されてしまったのだ。これこそが、胸を熱く打つ文章芸術の感動である。
取り分け小説『城の崎にて』は、いつまでも、いつまでも、僕の魂を揺さぶり続けていた。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

