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コラム

苦楽歳時記
vol198 不安

2016-05-12

 今からおよそ二〇〇年前、すなわち近代ドイツ文学の古典主義とロマン主義の間の時代に、奇異な三大詩人(ヘルダーリン、クライスト、パウエル)が活躍していた。

 その中の一人であるクライストは、自分の生涯を「人間がいとなんだ最も苦悩的なもの」と叫んでいたが、書物の名前は覚えていないのだが、彼の散文作品の中で次のようなことが書かれていたことを記憶している。

 「神の存在を認めようとしない辛辣な口調で書いた本は数多くあるが、悪魔の存在をあっさりと否定した無神論者は、未だかつていないようである」 

 また、エドワード・ヤングというイギリスの牧師は、「夜になると、無神論者も半分は神を信じるようになる」と述べているが、これらの短い語句の中に、人間の不安に対する普遍的な観念が色濃くのぞいているようだ。

 無神論者の多くが悪魔の存在を否定しない所以は、不安が原罪の前提に存在するからなのだろうか。

 僕は時折、俳句とも一行詩とも定まらない言葉遊びに興じることがある。ある深夜に、「不安でないから恐ろしく不安、安心して不安になりたい」と、短い詩を詠んだのだが、今から一五〇年ほど前にセーレン・キェルケゴールが『不安の概念』の中で、「不安は或る共感的な反感であり、そうして或る反感的な共感である」と、すでに論じていたのである。

 このように不安は心理的な二義性を含んでいる。その夜、僕は『不安の概念』(斎藤信治訳/岩波文庫)を読み返すことになったのだが、キェルケゴールに代わって平易な解題をさせて頂くと、罪を犯す前の純真無垢なアダムとエバは、もはや不安であったというのである。

 詮ずる所、無垢は無知であり、聖書によれば人間は無垢の状態においては善と悪を識別する知識を有していないからである。従って無は不安をつくりだし、無垢は同時に不安である。人間の精神は夢を見ながら、自己自身の現実性を前に投影する。現実性は無であるから、この無を無垢はたえず自分の前に見ているのである。

 また、キェルケゴールは、不安は自由の可能性であると言い、信仰と結びついている不安について論じているのであるが、彼が詳解している『不安の概念』について論説を展開すると、紙面の都合上、枚挙にいとまがないのでこの辺りでとどめておくことにしたい。


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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新井雅之

文芸誌、新聞、同人雑誌などに、詩、エッセイ、文芸評論、書評を寄稿。末期癌、ストロークの後遺症で闘病生活。総合芸術誌『ARTISTIC』元編集長。




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