苦楽歳時記
vol188 月ヶ瀬の梅
2016-03-04
〽 梅は咲いたか桜はまだかいな
奈良県、月ヶ瀬の梅林は、五月(さつき)川の渓谷沿いに梅の木が広がる様から「月ヶ瀬梅渓」とも呼ばれている。東風(こち)が吹きよせる如月(きさらぎ)になると、春をいざない梅の花を咲かせるという。
名物「月ヶ瀬鍋」(地鶏を使った鍋料理)を囲んで、春つげ鳥のさえずりを耳の肴にし、熱燗で差しつ差されつしながら、のどかな谷あいにこびる梅の花を愛でて、風雅な早春を明年にこそ味わってみたい。
文豪谷崎潤一郎は書いている。「名所というものはいってみると、さほどではないところが多い。けれど昔から吉野と並び称せれている月ヶ瀬の梅ばかりは、まことにその名にそむかない。いつから有名になったのかはよく知らないが、恐らく瀬山陽や斉藤拙堂の詩文によって、一層著聞するようになったのであろう。あのさつき川の水を挟んで延々一里に余る渓谷に、真珠の粒をばらまいたような萬朶(ばんだ)の花の香る景色を、私は毎年早春頃になると思いだす。今年も行ったし、二、三年前にも行ったが又、来る年も来る年も、暇さえあれば何時でも行きたいと思う。」
はるか昔に、なじみの輩(やから)と連れ立ち、月ヶ瀬の里のあずま屋でしし鍋をつついた。梅の花は七分咲き、ほろ酔い気味になったところで一句詠んでみた。
「月ヶ瀬や しし鍋かこみ 迎春花」
中国の唐の時代は「梅の時代」といわれ、杜甫(とほ)や李白が盛んに「梅」にちなんだ漢詩を詠んでいた。
日本最古の歌集『万葉集』、日本最古の漢詩集『懐風藻』(かいふそう)に梅の歌があり、中国伝来の梅に影響を受けていた様子がうかがえる。
江戸時代には、たくさんの品種の育成や改良が行われて、現在では三百種類以上の梅の花が日本随処で早春を彩る。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

