1000字で文学名著
第一回 『城の崎にて』 志賀直哉
2016-01-20
「山手線に跳ね飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」
これは、心境短編小説『城の崎にて』の冒頭である。
志賀直哉は『白樺派』を代表する小説家の一人である。『白樺派』は自然主義文学を標榜してきた。その主義主張とは、自然の事実を観察し、現実をありのままに描写して、あらゆる美化を否定する。
大正時代、スピードが遅いといえども電車に跳ね飛ばされたら、少なくとも骨折か死亡しているであろう。
自然主義文学を渇望するにしては現実性に欠ける。また、跳ね飛ばされた経緯も詳しく語ってはいない。これは読者の立場からすれば「深読み」にあたる。
そこで文献をひもといてみた。実際に志賀が線路のそばを歩いていたときに、山手線の電車に跳ね飛ばされて入院したという記録が残っている。「発見」である。
この小説の読みどころは、主人公である「自分」は養生のために城崎温泉ですごす。そこで三つのできごとに出遭う。玄関の屋根に見る蜂の死骸、川でもがく鼠(ネズミ)の死、自分の投げた石にあたって死んでいく蠑螈(イモリ)。
自分(志賀)は、ある朝、蜂の死に遭遇する。この下りを読みこなしていくことが、作者の多感な心情にふれることである。
生き物の死に寂しさを感じる心像描写と、自分の心の表白に注目したい。更には、生きる者と死ぬ者の対比も味わっていただきたい。そして、同じ人間同士でも分かち合えない、隠された驚異も存在するのである。
谷崎潤一郎や川端康成が述べているように、「簡潔で透明な文体は文章の手本」。それだけでなく、比喩や色彩を用いない。修飾は加えない。
文豪は、この小説は文章の手本であると言わしめた。一度読んでみる価値があると思う。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

