苦楽歳時記
vol185 「獺祭」(だっさい)に酔って
2016-02-11
昔、スシ・バーで山口県の地酒「獺祭」をたしなんだことがある。酒をグラスに注ぎながら、ウェイトレスが「獺祭」のいわれについて説明してくれた。
「獺祭の獺の一文字はカワウソと読みます。獺祭とは正岡子規の俳句に由来します」。
客が引けた頃合いを見はからって、先ほど説明をしてくれたウェイトレスを呼んで、一家言申し述べた。「俗に詩文を作るときに、多くの参考書や辞書をひろげちらかすことを「獺祭」という。また、子規の命日を『獺祭忌』といい、正岡子規はその居を「獺祭書屋」と号した」。
僕はすっかりほろ酔い気分になってしまい、正岡子規の名の由来について講釈をたれた。「子規はホトトギスと読む、泣いて血を吐くホトトギスと言うが、子規は肺結核を患い喀血したので、子規の号を用いるようになった」。
酒の勢いに任せて、隣に座っていた知己に文士のエピソードを語り始めた。
島崎藤村は未知の少年から、「達」という漢字の間違いを指摘されて、面目を失ったことがある。藤村は少年から教えられるまで、字の間違いにまったく気づかなかったそうだ。
司馬遼太郎の『街道をゆく』という紀行文で、「広い店内には客は一組ほどしかおらず、決して混んでいるというわけではない」。
この一文が、僕にはどうしてもしっくりとこなかったのである。広い店内には客は一組しかいないのであれば、一組「ほど」という表現は不自然である。また、広い店内には客が一組しかいないことがわかっているのに、「決して混んでいるというわけではない」という描写もまどろっこしい。
小学校一年生のときに、産経新聞夕刊に司馬遼太郎作『竜馬がいく』の連載が始まった。挿絵は岩田専太郎が担当していた。いつも夕刻になると母が朗読してくれる。それ以来、司馬遼太郎のファンになったのである。
時は流れて、高校時代の恩師は司馬遼太郎と懇意にしていたので、東大阪市の司馬邸に恩師とともに訪問した。持参した『竜馬がいく』の本にサインをしていただいた。今でも書棚に鎮座し続けている。
本日、二月十二日は、司馬遼太郎の忌日『菜の花忌』。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

