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コラム

苦楽歳時記
vol182 父の断章

2016-01-21

 父が他界したのち、過ぎし日の睦月に家人と里帰りしたときのこと。花見小路(京都)のお茶屋「○○家」の前で、たゆたうとして佇んでいた。

 住まいの味わいからして、女将さんは今でも健在であることを察した。呼び鈴を押す勇気はなかったが幼いころに父の手にひかれて、二度ばかり訪れていた古い憶えがおぼろげに甦ってきた。

 表札には男性の名前が書かれている。僕と異腹の兄の名だと必然と心づいたのだ。

 いつの時代においても「据え膳食わぬは男の恥」。お茶屋の女将は芸妓(げいぎ)の折りに父の子をみごもり、やがて父は手かけを見受けして茶屋を与えていた。

 旧時の父は製鉄会社の重役の職にあった。戦後間もないころ、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し続けた製鉄業界。御多分にもれず、父もかなり羽振りが良かったのだろう。父は男女を問わず面倒見の良い人で、騙されることもしばしばである。

 幼年のころ、父に同行して『東映京都撮影所』へ赴いたときに、若い男が父のことを「おじさん」と呼んでいた。その男性は度々吾が家にも訪れて、どうやら父に小遣いを無心しているようであった。

 父は歌舞伎役者から映画俳優に鞍替えしていた、大川橋蔵の谷町をしていたのである。あるとき、橋蔵に恋心が芽生えて思案しているせつに、目当ての女性の住まいを橋蔵とともに父は訪問している。

 映画で共演したことのある女優・朝丘雪路に、橋蔵は「ほの字」であると父に告白していたのである。雪路からはつれない応えのさざなみが、ひたひたと打ち寄せてくる。ゆきつくところ、父の提灯持ちは徒労に終わってしまった。

 当時、映画業界は斜陽の一途をたどり、もはやテレビの時代といわれて久しかった。鳴かず飛ばずの橋蔵を父が励まし、お膳立てをして、TV時代劇『銭形平次』の主役に抜てきさせてしまったのである。

 顔の彫が深くて背の高い優しい父は、姉たちの友達に人気があったという。巷では、俳優の上原 謙によく似ているとささやかれていた。


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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新井雅之

文芸誌、新聞、同人雑誌などに、詩、エッセイ、文芸評論、書評を寄稿。末期癌、ストロークの後遺症で闘病生活。総合芸術誌『ARTISTIC』元編集長。




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