キム・ホンソンの三味一体
vol51 我が家のサンクスギビング
2015-11-30
今年もサンクスギビング(収穫感謝祭)がやって来ました。あちこちに飾られた美しい飾りをみると、華やかな感謝祭をイメージします。しかし実際にアメリカに移住して来たピューリタン達の初めての感謝祭は、客観的に見てとても貧しく厳しい環境で行なわれたそうです。
ベンジャミン・フランクルが書いた『始めの収穫感謝祭』にはこう記されています。「メイ・フラワー号で信仰の自由を求めて大西洋を渡ったピューリタンの群れが新大陸ニューイングランドに上陸したが、寒さと病気で春を迎えた時は約半数の者が亡くなっていた。何とか種をまき秋に得られたのは、どうにかその冬を越せる程度のトウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ等の貧しい収穫であった。彼らは1週間の特別断食祈祷会を開いた。しかしそれが終った時にも不安を拭い去ることができず、もう1週間の祈祷会をという提案が出た。その時、1人の信者が、『皆さん、我々は大西洋を渡ってきて、多くの愛する友を失ったが、神は我々に期待以上の豊かな恵みを賜わって下さった。貧しくてもこのように収穫もあります。もう断食祈祷会を中止して、讃美を歌い神に感謝する礼拝を守ろうではありませんか』、と提案した。皆がそれを受け入れ、その苦難の中で、最初の感謝祭が守られたのである。」
感謝の気持ちとは、満ち足りている時ではなくむしろ困難を抱えている時にこそ見出されるような気がします。1年ほど前、双子の息子達がまだ8ヶ月になったばかりの頃、夫婦共に双子育児の大変さに打ちのめされていました。夫婦共働きをしながら2人だけで4歳の娘と双子の赤ん坊を育てることは確かに簡単なことではなく、今もそれは変わりません。情けない話ですが、その頃「なぜ双子を授かったのでしょうか」と神に祈ったことがあります。ある夜、夜泣きの双子をあやしながら、夢をみました。「1人の方がよかったのか」という声が聞こえました。「それならどちらか選びなさい。時を戻してその子だけが生まれるようにしよう。」そこでどちらかの泣き声で目が覚めました。未だにそれが神の声だったのかは分かりません。しかしその時から、「どうして」という迷いが消え、「もう2人に出会ったのだ。選ぶことなど出来ない。」と今度は双子が与えられた感謝の気持ちが沸々と湧いて来たのでした。最近は「どうして」にかわって「3人以上はご勘弁を」という祈りになりつつあります。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

牧師、コラムニスト、元ソーシャルワーカー、日本人の奥さんと3人の子供達に励まされ頑張る父親。韓国ソウル生まれ。中学2年生の時に宣教師であった両親と共に来日。関西学院大学神学部卒業後、兵役のため帰国。その後、ケンタッキー州立大学の大学院に留学し、1999年からロサンゼルスのリトル東京サービスセンターでソーシャルワーカーとして働く。現在、性的マイノリティーをはじめすべての違いを持つ人々のための教会、聖霊の実ルーテル教会 (Torrance) と復活ルーテル教会日本語ミニストリー(OC, Huntington Beach)を兼牧中。








