苦楽歳時記
vol167 JAZZ
2015-10-01
同時多発テロ発生後三ヵ月余り経過してから、詩のコンテスト『若き詩人たちの集い』の審査委員会に出席するためにニューヨークへ赴いた。
選考を終えた翌日、帰りの飛行機の便までしばらく時間があるので、一晩お世話になった郊外の知人の芳館から、マンハッタンまで車で送ってもらい、グリニッジ・ヴィレッジの『ブルーノート』の前で降ろしていただいた。
ニューヨークに向かう数日前に、親交のあるジョー・ヘンダーソン(テナーサックス奏者)のガールフレンドから電話をもらった。「来週、ニューヨークに出向く際に、私と一緒にジョーの告別式に出席してほしい」と希求された。チック・コリアもハービー・ハンコックも、仕事にかまけて欠席を告げてきたことが、彼女にはとても寂しかったらしい。
ジョー・ヘンダーソンが歿して直ぐに、彼女はダウンビート誌のインタビューに応じている。彼女は電話口で、まだ誰にも語っていないジョーのエピソードを、せきを切ったように語りはじめた。
スタン・ゲッツとジョーの友情についての話をかわきりに、セロニヤス・モンクとチャーリー・ラウズの親交。グラミー賞受賞秘話。ジョーのサックスの話。『ブルーノート』(東京)ドタキャンの真相。ペッパー・アダムスの隠れた才能など、ジャズ好きの僕にとっては、どれもこれもが興味深い話ばかりである。
中でも一番深く印象に残ったのは、生前、ジョー・ヘンダーソンはビル・エバンスのピアノ奏法について、「昼間聴くべき演奏であって、深夜は聴くに耐えない」と酷評していたことだ。
ニューヨークから戻った数ヵ月後に、日系引退者ホームでジャズ・コンサートが催された。僕はゲストとして招待されていたのだが、演奏の途中で司会者は、なぜか僕のことをジャズ評論家と紹介したのである。
コンサートが終了した後で、どうして僕がジャズ評論家なのかと司会者に尋ねてみた。すると、ジャズCDのライナーノーツに執筆されているではないかという。
最初は日系引退者ホームでのジャズ・コンサートは場違いだと思っていたのだが、入居者の満面の笑顔と、温かい声援に包まれてのコンサートは、成功裏に幕を閉じた。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

