苦楽歳時記
vol166 ペンネームと文章
2015-09-24
高校一年生のとき、日ごろから口数の少ない現代国語の先生が、授業中に黒板に大きな文字で、石川豚木(ぶたぼく)と書き損じたので大爆笑となった。
文学にあまり関心を示さない当世の若い人たちの中には、島崎藤村や永井荷風のことを「しまざきふじむら」、「ながいにふう」と読む者がいる。
ラジオのアナウンサーが名前を読み間違えて以来、藤本義一(よしかず)が(ぎいち)になり、松本清張(きよはる)が(せいちょう)と呼ばれるようになった。
著名人になると水上 勉(べん)、川端康成(こうせい)のように、有識読みといって音読みされることがある。
長谷川辰之助は子供の頃に実父から「くたばってしめえ!」とよく叱責されたので、二葉亭四迷(ふたばていしめい)とペンネームをつけたことは有名である。
近所の猫が窓から、ふらりと姿をあらわす度に「おー、ヘンリーじゃないか」。習慣のように口から出る猫の名前が、そのままペンネームになったのが、O・ヘンリー。
社会主義者の雄レーニンは、なんと百五十にも及ぶペンネームを使い分けていた。
自分のペンネームができたら、まず詩を書いてみよう。そして本紙の『ポエム・タウン』へ応募してみるとよい。
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書店を覗くと、『言葉』に関する本が所狭しとならんでいる。同じく、文章上達方法の本もかなりの数がある。けれども、これらの本の中に定型詩や自由詩など、文章道の基礎となる韻文の緊要を説いている書物は皆無に等しい。
歴代の文豪と呼ばれている人物の、書生時代を参考にしてみれば一目瞭然である。彼らは詩歌を学び詩歌を吟じていた。
まず、万葉集、短歌、俳句、詩などの、ありとあらゆる作品を読むことである。その次に自ら詩歌をつくってみることだ。これらのことを継続していくうちに、散文を書くための技術が自然と培われていく。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

