苦楽歳時記
vol159 ワクワク
2015-08-06
右半身麻痺になって身体の自由を奪われてからは、通常よりも取材に四倍、調べ物には五倍の時間を要するようになってしまった。更に抗癌剤の副作用で目がかすんで見えづらい。ラディエーションの副作用で歯も痛い。更に両足がむくんで歩行が困難だ。
外出時には、いつでも家人が行動を共にしてくれる。良いときもあれば難儀な折りもある。
右半身麻痺と述べたが、短い距離なら一人でも歩くことができる。ただし、腕と脚に二キロの手かせ足かせを常につけている状態と同じようなので、重苦しくてすぐに息が上がる。
その上、言語障害であるから上手くしゃべれない。話しが込み入ってくると相手に伝えるのに、家人の通訳がいる。そんな状況の毎日で、青息吐息の余生を歩んでいる。
末期癌でおまけに右半身麻痺。言葉もまともに語れない三重苦である。聴力、視覚、言葉を失った三重苦のヘレン・ケラーとは比べものならないが、一つだけ共通点がある。彼女と僕の誕生日(六月二十七日)が同じであることだ。
末期癌にしても甲状腺癌に端を発して、脳、肺、リンパ、骨に転移している状態。余命四ヶ月と医師から宣告されてから、もう七年近くも生かされている。
真夜中に、突として恐怖心に襲われたこともある。日毎夜毎に寧日(ねいじつ)がないのだ。そんなとき僕には頼れるものがある。聖書と神である。祈り賛美していると、いつの間にか心が平安に導かれる。
明日も取材ノートを頼りに、資料の収集にいとまがない。蔵書の山を片手でかきわけて、転ばぬようにと書棚をつかまえ、書棚をつかまえるときには、せっかく見つけた出典を手元から離さねばならない。何とももどかしいかぎりだ。
原稿を書き上げるにしても通常の三倍は時間がかさむ。左手の指だけでキーボードを打つのは、未だにしっくりとなじまない。
苦心して奮励してようやく脱稿しても、編集者よりも厳しい家人の検閲が控えている。僕の執筆したものに対して、容赦なく批判の嵐が吹き荒れる。
末期癌にも耐え、右半身麻痺にも耐え、言語障害にも耐え、厳しい批判にも耐え、踏んだり蹴ったりの後半生だが、耐え抜いた暁には、なんだかワクワクとしたものが込み上げてきた。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

