苦楽歳時記
vol152 太宰 治
2015-06-19
本日、六月十九日は『桜桃忌』。太宰 治の命日を記念して、毎年、東京三鷹の禅林寺で法要が営まれる。『桜桃忌』とは、絶筆となった作品「桜桃」による命名。
戦中から戦後にかけて活躍した坂口安吾、織田作之助、そして太宰 治らは、「無頼派」に位置づけられた作家であった。「無頼派」とは、無頼な人たちのことではない。過度のストレスにより心身を痛めて苦悶した挙句に、早世した生まじめな作家のことである。
一九四八年(昭和二十三年)六月十三日、愛人の山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺をした太宰は、溺死した客月に短編小説「桜桃」を『世界』に発表している。
太宰はこの創作の本文に入る前に、聖書の詩篇から第一二一篇の冒頭にあたる「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」を副題として引用している。太宰の作品は聖書からの引例や、キリスト教についての言及がおびただしい。
とりわけ「斜陽」には、聖書の御言葉が一方ならぬ引用されている。英訳を手掛けたドナルド・キーン氏は、翻訳をするにあたって省略の必要性を強く感じたと述べている。
また、ドナルド・キーン氏の著書『日本の作家』(中公文庫)において、実に興味深い事柄が論じられていた。「キリスト教は一種の謎めいた要素であって、(太宰にとって)重要なことではない」と断言しているのである。太宰 治の研究者の中にも同等の見解を示す者がいることも事実である。
キリスト教は太宰の好奇心を煽り立てる唯一の啓蒙であり、聖書の中で太宰自身の知的情緒と共鳴する聖句を発見しただけに過ぎなかった。信仰の面では教会には属さず聖書を自己流で学び、受洗をしない信仰的救済のない反キリスト者としてみなされていた。
キリスト教が太宰にとって一種の謎めいた要素であって、重要なテーマではなかったと確言しているドナルド・キーン氏の考察に、僕は二十五年近くも前から異論を唱えてきたのである。考えてみれば日本文学の碩学を前にして、真に僭越な発言をしてきたものである。
元来、大局的な判断を下せる有識者は、文献など資料の解析に時間を割いて、事細かにひも解いていくのだが、ドナルド・キーン氏は創作にだけ重点を絞って、思索を深くめぐらしながら切り込んでいく手法を採用されているようだ。従って、随筆、書簡、証言、病歴、心理分析などへのアプローチが、希薄となっていることは自明の理である。
例えば、深江絹代のエッセイ『太宰治と聖書』には、「太宰は聖書を知識としてのみ読んでいたのではない」、「聖書と太宰文学との関連を無視したなら、太宰文学の理解は不可能だ」とまで明言している。
また、太宰は、内村鑑三の信仰の書にまいってしまい、「これは自然と同じくらいに恐ろしい本で、私は信仰の世界に一歩踏み入れているようだ」と、「碧眼托鉢」に書いている。
「風の便り」においては、自分の醜態を意識してつらいときには、聖書の他にどんな書物も読めなくなるという。「聖書の小さい活字の一つ一つだけが、それこそ宝石のようにきらきら光ってくるから不思議です」と述べている。
太宰が生涯質素な家に住んでいたのも、プロレタリア意識などではなく、キリストの「汝等己を愛する如く隣人を愛せよ」、という言葉を頑なに思い込んでしまったからである。
太宰文学が提示する「道化」、「にせ自己」、「奉仕の精神」、そしてその根底に流れる冷酷さと、自己中心的で自尊心が強くて繊細膀弱な自我。特異な生い立ちと合いからまって、「選ばれた人」として育ち、「選ばれた人」として彼独自の名演技とつねに対峙していたのは、太宰が知識として読み始めた聖書であった。
日陰者の苦悶/弱さ/聖書/生活の恐怖/敗北者の祈り(「如是我聞」)。これらの否定的な言葉の中心に、祈る思いで聖書と挙げた太宰の胸中は、キリスト教に通じる吾が道をきっと見出したかったに違いない。
「人間には、はじめから理想なんて、ないんだ。あってもそれは、日常生活に即した理想だ。生活を離れた理想は、―ああ、それは、十字架へ行く路なんだ。そうして、それは神の子の路である。」(「正義と微笑」)
病跡学の観点からしても、「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」(「葉」)。「この軽妙で不遜な言葉を口にすることのできた太宰は、この一言をもっても、病跡学の渦中の人としての資格が十分にある」と、パトグラフィーの権威である精神科医の梶谷哲男に言わしめた。
この一句は、太宰とキリスト教の関わりを探るにあたって、確かに重要なキーワードの一つだといえる。けれども、この一句は残念なことに太宰の言葉ではなく、ヴェルレーヌからの借用であったことが判明してしまった。
また、梶谷哲男は、この短文を一括して不遜な言葉であると解しているが、換言すれば、これはヴェルレーヌが宿罪を謳った語句なのである。
太宰治とキリスト教の関わりを詳解すると枚挙にいとまがないので、このあたりで筆を置くことにしたい。
神の裁きを畏怖していた太宰は、芥川龍之介と同様に自我の苦悶から解き放されることなくして、自らの人生の黄昏を早めて朽ちてしまったのである。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

