苦楽歳時記
vol143 論文と鮨
2015-04-16
二〇〇八年の春に、僕は詩にまつわる論文を起稿したところであった。あと二年余りで脱稿する予定でいたが、事情があり引っ越しする羽目になってしまった。二〇〇六年あたりから、諸々のストレスがたまり、不意に病魔に襲われてしまった。
引っ越しの荷物はそのままに、救急車で病院へ搬送されしまった。退院後、ストレージに堆(うずたか)く積み上げられたダンボール箱の山。
僕はストロークの後遺症で、言語障害と右半身麻痺なってしまった。おまけに末期癌ときている。悪疾を患ってから粗方七年が経過するというのに、未だに蔵書はダンボール箱の中だ。未整理の蔵書は助手の助けが必要だ。文献をひもとかないと論考は書けないのである。
僕はつと、弘法大師の願文が口からこぼれ出た。「哀しいかな、哀しいかな、また哀しいかな。悲しいかな、悲しいかな、重ねて悲しいかな」。
僕のライフワークの一つである「近現代詩」にまつわる論文が未だに執筆できないのは、「悲しいかな」の一言に尽きる。
大患に襲われる以前は、執筆に明け暮れた日々を過ごしていた。原稿の締め切りに追われて夜なべ続きの毎日であったが、これもまた楽しいのである。出版社が違えば編集者も異なる。そこには様々なやりとりがあった。
僕が執筆するものはつたない雑文であるが、まれにコピーライターもどきの仕事と、著名人のゴーストライターも声をかけられたことがある。
就寝と食事のとき以外は、ジャズを聴きながら机に向かっていた。それでも、たまには息抜きも必要であるから、馴染みの鮨屋で杯を重ねながら鮨をつまんだ。
昨今の鮨屋は事情が好転したものである。築地の新鮮なネタを空輸で仕入れるらしい。新鮮な珍しいネタが豊富にあることは喜ばしい。更に廉価であれば嬉しい限りだ。
僕の小論が脱稿するのは、いつのことになるのやら見当がつかない。ああ、哀しいかな、悲しいかな…
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

