苦楽歳時記
vol125 美しい言葉
2014-12-05
「文は人なり」
この有名な金言をのこしたのは、フランスの博物学者ビュフォンである。
もともと「文」とは「言葉」のことであった。旧約聖書のいたるところに、勇壮で創造に満ちた言葉の概念が記されている。
太古より、世界中の詩人たちは、言葉について多くの詩を書き遺している。
空に舞う凧はふたたび子供の手に帰る/だが、口から舞い出た言葉は元に帰らない/「火の用心」はよき薦めであるが/「言葉にご用心」こそ、最も肝要だ/心の中の思いはそのまま消滅していくが/ひとたび口から出た言葉は、神でさえこれを亡きものには出来ない(ウィル・カールトン)
「言葉を用いる人の見識次第で、同じ言葉が高くも低くもなる」(夏目漱石)
「見識」とは、ものごとについて見通しを持つしっかりとした考え方だ。そこには、他者に対する思いやりのある品性が伴っていなければならない。
言葉一つで相手を怒らせたり、悲しませたり、励ましたりすることができるのだから、言葉を発する誠心には深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容が、絶えず宿っていなければならない。
子供の時分に、「ありがとう」を言うようにしつけられたはずだが、大人になったら「どうも」、「すみません」、「サンキュー」でかたづけてしまうことがある。
幼い子供に向かって「ありがとうと言いなさい」と親が諭すことも大切だが、妻がお茶を入れてくれたら、夫は妻へ笑顔で「ありがとう」の言葉で感謝の意を表し、夫が食事の後片づけを手伝ってくれたら、妻は夫に笑顔で「ありがとう」の言葉で礼を言う。
子供はそういう両親の言動を見聞きしながら、自然としつけが育まれる。
「おはよう」、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「いただきます」。日本語には美しい言葉が数多とある。
美しい心は、美しい言葉から生まれるのだから。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

