苦楽歳時記
vol121 詩人
2014-11-13
画家志望の人間は、例え自分の描いた絵画が売れなくとも、絵画教室を開いて教えることができる。音楽家志望の人間は、著名にならずとも楽器を教えることができる。
芸は身を助けると言うが文学は違う。世間に認めてもらわなければ、物を書く仕事以外に別の職業を見つけなければならない。
元来、詩人は職業として成り立たないのだが、所得の低い順位は、三位俳優、二位作家、一位が詩人であるそうだ。俳優と作家は成功すれば富を築くが、詩人はそういうものとはかけ離れている。
学生時代に、「狂っていなければ、物は書けないのか」。それをテーマにして議論したことがある。僕は数多くの詩人を見てきたが、奇人もおれば、変人も、心が病んでいる者もいた。フランスのデカダンスの詩人は、超奇人、超変人である。
昔から、「詩を作るな、田を作れ」と言われて久しいが、イギリスあたりでは、「君は詩人か、どうせお金がないのだろう。ジャニターでも世話してやろうか」と言うらしい。
ここでセーレン・キェルケゴールの言葉を想い起こして、反芻(はんすう)してみた。「詩人の心には人知れぬ深い苦悩が秘められており、その嘆息と悲鳴は美しい音楽のようでありながら、本来は不幸な人間なのである」。
ロシアの詩人セルゲイ・エセーニンは、田舎の母親からの再三にわたる仕送りの申し出に、ついに応えることができなかった。エセーニンは下賤な生き方をしている自分を省みて、母の嘆きを風化させないために、『おっかさんの手紙』という詩を書き残している。
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お前さんが詩人であるということが/それはもう評判が悪いのに/まったく いい気になりさがって/あたしゃ心労にたえないよ/小さいころから/鋤(すき)とヤットコとって/野良仕事にはげんだほうが/よっぽどましになっていたのに
(『おっかさんの手紙』抜粋・筆者訳)
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エセーニンの晩年は神経衰弱に陥り、自身の手首を切り、自身の血で告別の詩を書き、翌日に首を吊って命を絶った。享年三十〇。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

