苦楽歳時記
vol117 『相撲』と『言葉の壁』
2014-10-09
神事との関係が深い宮中では、秋に相撲節会(せちえ)が開催されていたことから、相撲の季語が秋に定められた。
『日本書紀』には、垂仁天皇の命により大和の当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲の祖神とされる出雲の野見宿禰(のみのすくね)が相撲をとって、宿禰が蹴速を蹴り殺したという話が紹介されている。元来、相撲とは古語の「すまふ」(争う)という意味であった。
力士の土俵上での呼び名を「四股名」というが、「四股」は当て字で本来は「醜名」と書いて謙遜を表白していた。
一九六〇年代、勝てば勝つほど人気が上昇した昭和の名横綱、大鵬。子供たちの憧れや好きなもの言えば、当時の流行語になっていた「巨人、大鵬、たまご焼き」。
明治時代の四股名には、ユーモラスで風変わりなものばかりだが、その一部を紹介する。文明開化、自動車早吉、ヒーロー市松、三毛猫泣太郎、一二三山四五六(ひふみやまよごろく)。
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指揮者の小澤征爾さんがスランプの折り、海外の空港で作家の井上 靖さんと邂逅(かいこう)した。
井上 靖さんが「音楽は世界共通ですよね。文学には言葉の壁がある」。それを聞いた小澤征爾さんは、スランプから脱出できたという。
一部の有識者から、ノーベル文学賞を廃止すると言われて久しいが、各国の言葉で書かれた文章を、英語に翻訳しなければならない。まさしく言葉の壁だ。
川端康成の『雪国』はスノー・カントリー、『伊豆の踊子』はイズ・ダンサー、何だかしっくりとこない。イズノオドリコは伊豆の踊子であって、イズ・ダンサーなどではない。
松尾芭蕉の俳句のくだりに、「凍てつく」とある。英語の翻訳を見ると「フローズン」。何と味気のないことになってしまうのだろう。
文学には翻訳という言葉の壁がある。しかも、アルプスよりも高くそびえる壁である。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

