苦楽歳時記
vol114 月と星
2014-09-18
デンバーに引っ越した友からの質問。
産経電子新聞の『俳句と短歌』の欄に掲載されていた黛まどかさんのエッセイ、『待宵(まつよい)の月』を読んだ友は、「 ・・・・・・ やや欠けた月を尊ぶ美意識は、日本人独自のもののようだ」という一文に疑念を抱いたらしい。
友は月を尊ぶ美意識は、世界の人々に共通するものであるというのだ。
日本画や定型詩、あるいは美意識的文化背景には、「花鳥風月」で表現される侘びと寂びが漂っている。
歳時記を見ると、「月」に関する季語はたくさんあるが、「星」は「月」の三分の一以下だ。また『平家物語』の月の描写は有名だが、古(いにしえ)から日本人は四季折々の「月」を定型詩や絵画の題材として選び、欠けた月やおぼろ月夜を愛でていた。
比して泰西では、天文学に優れたカルデア人が星座図を考案して以来、やがて星座図はギリシャへと伝わって、神話や伝説に結びついた。これらは西洋占星術の原型でもある。
ジョセフ・コンラッドというイギリスの作家は、「月」は冷徹で恐ろしいミステリーだと語り、詩人のサンドバーグは、「月」は孤独な人間の唯一の友であると表白するのが精々である。彼らには、どうも「月」を尊ぶ慣習はなかったようだ。
この稿を執筆している最中に、月見うどんが無性に食べたくなってきた。パントリーには乾麺と群雲(むらくも)に似せるとろろ昆布がある。冷蔵庫にはケージフリーの卵もネギもカマボコもある。味噌汁用に作り置きしておいた出し汁もある。
カマボコは型抜きで星形にする。実際には満月の夜には星が見えないが、これでおぼろ月夜の「星月見うどん」が味わえる。
まず、茹でたての麺の上に卵をのせる。次に十分に熱した出し汁をかける。素人は卵を最後に入れてしまう。ちょっとしたことで味も見栄えも良くなるものだ。
※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。

