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コラム

現代社会ド突き通信
第一回 ハイブリッド文学・唐 亜明様

2014-07-12

 2002年の「すばる」五月号に掲載されたあなたのエッセイ「ぼくは不自由です」を読んでとても共感するところがあり、手紙を書きかけたのですが、忙しくなって延ばしに延ばし、今になってしまいました。わたしも不自由です。
 わたしの場合、あなたと逆でアメリカに40年以上も住んでいます。こちらの人間と結婚して家庭の言葉環境は英語ばかりです。アメリカに来て7年目にもう社会のことは分かった、英語も結構通じると思って英語でエッセイを書こうとしたのですが、思うままを完璧に表現できないことを発見しました。それから気を落ち着けて冷静に考えました。
 子供の時から29年遣ってきた日本語のほうが頭にかっちり入っている筈だと思い付き、日本語で書こうと書き始めたのですが漢字が書けないのです。永い間、手で書いていないと視覚的に思い出せないのです(今だったらコンピューターが出してくれますけれど)。書いてある漢字は読めるのですが…。
 その瞬間、わたしはどちらの言葉も正確に書けず、日本語を失うとわたしの脳中にある言葉はどれもこれも頼りにならないものだけになり、広い世界でわたし一人言葉が通じない人間になるのではないかとパニックに陥ったのです。
 でもやっとエッセイを書いて、見せた編集者の中に、わたしの日本語が古くさいと言った人がいました。それがどういう意味か分からなかったのです。日本の若者に会わねばならないのかと慌て、あの時小さい子供を抱え、アメリカで多くの日本の若者と知り合いになるなんてできる筈がありませんでしょ。すぐに銀座の真ん中に立って若者に擦りよって行くなんて遠すぎてそれも不可能です。
 日本国内の日本語は、ことに若者のは、わたしが日本を出て以来、十二、三年の間に変わって行っているだろうが、果たしてわたしの頭の中の英語環境による日本語の変化と同じ方向に行っているのかどうかなんて分かりようがありませんでした。
 こういうことに思いを巡らせていると、「なんで文章を書かんならんねん」と、「こんなに苦労するのなら絵に帰ればええやないか」と考えたこともあります。わたしは元々絵描きでアメリカに来ました。絵は言葉がいりませんからね。こんなに言葉で苦労するとは夢にも考えていませんでした。
 でも「本当に日本に住んでいる人にアメリカの内奥を伝えたい」の一心でした。わたしに脳障害の子供が生まれていなければこんなに言葉で苦労することはなかったと思います。絵描きで通していたと思います。      (つづく)


※コラムの内容はコラムニストの個人の意見・主張です。
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米谷ふみ子




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